人事について思うこと
時節柄、こんなエントリーばっかりで申訳ないですが、多分若干病んでいる(?)のだろうとお許しください。
人事について、自己評価と他人の評価は自己評価は3割増しだという結果があるそうだ。耳が痛い部分も確かにある。
私自身、自分が仕事ができるとは思っていないが、やりたいことはやらせてほしいとか、権限くれとは前々から思っているし、たまに口にも出す(もちろん、口に出す時の言い方は違う)。職員を育てる気があるのなら、一定程度の権限移譲を行うことが必要で、それによってこそ実力は伸びるものだし、自信もつくものだと思っている。
以前にも書いたが、残念ながら完璧な人事はあり得ない。そのため、私を含め、不幸にも向いていない部署に配属される人が必ずいる。ただし、それをどう完璧に近づけるか、そういった意識が組織にあるかなのだと思う。
本学の人事においても異例の人事が以前にあったが(あまり詳細に書くと大学がバレるので書かないが)、例外的な人事というのはありえる。トップの起用や、よくわからないがその部署にとって必要な人であったり、その人にしかできないこと、その人をとんでもない部署から救うためにすることなどが例として挙げられるだろう。
若干話が飛躍するが、恐らく歴史上の偉人なんかはこうした異例の起用であったり、抜擢であったりというのが少なからずあっている。それは、その人に目をかけた上司、同僚、あるいは部下や後輩などの力によってなされていることが多い。つまり、自分が動くことがなくても、それにふさわしい人は、自然と周りがそうしたポジションにいくことになっていくのであろう(もちろん、そうでなくて、恵まれない境遇をバネに頑張った偉人もいるが)。
自分の人事が上手くいかなかった人は、自分の実力が足りないのか、周りと自己の評価に乖離があるのか、先輩・後輩からの評価や人望が足りなかったということだと思う。
私の場合も、事実は述べられないので若干事実と異なった内容且つオブラートに包むが、異動の際や異動した後、ちょっとした動きがあったように聞く。それが上手くいかなかった(?)のは、そうした理由によるものだろう。
どちらにせよ、これからどうするかが重要だ。