どんなに大切な人であっても離れるべき時
久方ぶりの更新です。
Twitterではたまに呟いていますが、最近常々感じることを書きたいと思います。
私は小池一夫さんの言葉が好きで、本も購入しています。
すでに亡くなられましたが、Twitterでも呟いていらっしゃって、それが残っています。
ああ、この人とは距離をおくべきだな、別れるべきだな、と思うのは、自分への対応が雑になった時だ。逆に言うと、自分は絶対に人を雑に扱ってはいけないということ。少しでも「人を雑に扱う」とは、最低な事だと、いつも心に留めておくのだ。
上記の言葉に影響を受け、私は次のように思いました。
どんなに大切な人であっても、尊敬する人であっても、自分が雑に扱われたり、ないがしろに扱われたと感じたら距離を置こう。それが家族であっても。
つい自分をないがしろにしてしまう時もあるけれど、自分自身が自分を大事にすること、自分を大切に扱うことも心がけよう。それでこそ人にやさしくできることもある。
時間は有限なので、自分を雑に扱う人、ないがしろに扱う人からは距離を置いて、自分を大切にしてくれる人、慕ってくれる人に時間を使いたい、そういう人との関係を保つために時間を使いたいなと思います。
また、小池一夫さんは次のようにも述べています。
もう、職場や身内や友人関係のしがらみで、がンじがらめで苦しいと、若い友人から相談を受けたのだが、「縁」なンか一度切ってしまえばいいンだよ。本物の縁ならば、また繋がります。苦しくなるほど、人との縁を守らなくてもいい。もし再び繋がったなら、その縁を大事にすればいい。
この言葉には正直すごく救われました。縁を切ってしまうとそれっきりのような気がしますが、本物の縁ならばまた繋がる。実際にそれが本当かどうかは人生経験の少ない私にはわかりません。しかし、そう思えることで、上記の距離を置くということができるのかなと。
小池一夫さんは本物の縁という言葉を使っていますが、私は自分にとって必要な縁ならという風に思った方がしっくりきました。必要な縁ならばまた繋がる。
たとえ一度距離を置いたとしても、また相手がつながりたいと思ってくれたのなら、きっと縁は再び結べるのかなと思っています。