前回のつづき
どんなに大切な人であっても離れるべき時というのを前回書いたが、その続き。
自分がぞんざいに扱われた(前回はないがしろと書いていたみたい)と感じた時というのは、きっと相手に問題があるわけではなくて、それまでの自分の言動や行動に原因があるのだと思う。もしかしたらより深い仲になれたからこそ、そういう言動になっている(素が出ている?)かもしれないなとも思うこともあって、それはそれでうれしいことだけれども、それだと自分にとって心地いい関係や場所ではないなと思ってしまう。
自分自身、あまりキャパシティーが大きくなく、自分を心地いい空間、人間関係などに置かないとだめで、環境を整えることが大事だなと最近感じる。そうすることで穏やかになれるし、自然体でいられる。
年月が過ぎるなかで、多少なりとも人って少しずつ変化していて、考え方も少しずつ変わったりする。根本的なところは変わらないと思うけれど、それでも変わるところってあると思うのだ。そういう変化によって、人間関係も含めて変わってしまうことってあるのだと思う。離れてしまうもの、逆に近づくもの。できれば、これまで仲良くしていた人とはこれからも変わらず仲良くしたい。そして、できれば、そこに新しいものが加わってくるというのが理想的かなと思う。
だけれども…。
そういうときは、すべてにおいて、”自分中心”に考える。自己中という意味ではなく、自分に原因があるのだと考える。相手が変わってしまったというよりも、自分が変わってしまったのだ。自分が変わって感じ方が変わったのだというように。
誰かや相手を変えようと思うのは、すごくおこがましいことで、それって自らが正しいという認識のもとにあるんじゃないかなと思う。自分が絶対に正しいということなんてきっとない。
こういう考え方を持っているのもあって、すべての原因を自分に求める。それは自分を責めているわけではなくて、そう思うことで自分自身、整理できる、腑に落とせるかなと。
なんてことを思うこの頃。