日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

一番大事なのは人間性なのかもしれない

 昨日、以前の部署の後輩と久々にご飯を食べに行った。この後輩は入職から昨年度末まで一緒に仕事をし、私が直接指導をしてきた。非常に勉強熱心であり、その姿勢には感嘆の念すら覚えた。本人は謙遜しているが、非常にできた後輩で、年数が倍近い私よりも既にできる後輩であると私は思っている。

 

 以前のエントリーでも書いたと思うが、先輩を追い越すのが後輩の役割であると思っているので、こうした現状を喜んでいる。それと同時に、そう簡単に追い越されてはいかんと、ある一定以上の壁(父親が息子の壁になるように)にはなっていないといけないと思う。もっと頑張らねばと自分に発破をかける。

 

 どういった点ができた後輩なのかというと、常に謙虚な姿勢であること、これに尽きる。常に謙虚であること、人の言葉を素直に受け入れる姿勢、人の悪口は言わないことなど、私にはないものをこの子は持っている。そういった意味では尊敬すらする。

 

 なんてことを思っていると、年齢や経験年数なんかではなく、人ってやっぱり人間性が一番大事なのかもしれないなと思った。年齢が上なだけで尊敬できない人にはならないよう、心の帯を締めたい。

補助金はあくまで"補助"金だ

 あちこちで話題になっている下記の記事。

www.asahi.com

  出来る限り日本語でとブログでは書いているが、今後のことを考えて官公庁は和製英語を使わず、英訳を考えて書くべきだと感じた。

 

 和製英語は一先ず置いておいて、補助金依存について、補助金はあくまで"補助"金であり、国の支援が見込みより低いとの批判があるが、私大はある程度こうした想定しておくべきであろう。

 あくまで"補助"なのであって、補助金のほとんどは5割までである(一部全額補助もあったりするが)。だからこそ、自大学の今後の方針をしっかりと定め、そこにあっている補助金にのみ申請するという姿勢が大切だと思う。

 

 私の所属している大学も補助金に飛びつく傾向があり、補助金の獲得金額、ランキングを非常に気にしている。そうしたことが逆に経営を圧迫していることもあることを肝に命じて置かなければならない。

 記事にもあるように、補助金を獲得すると想定していなかった仕事もでてくる。選定後の報告書作成等はもちろんのこと、大きな補助金となると、一時的にそれを処理するための部署を作ることさえある。部署が増えれば人件費もかかる。

 

 補助金によって経営が圧迫される。本末転倒ではないか。

 

 こうしたことにならないよう、補助金の獲得金額、ランキング志向から脱却し、何が自大学にとって大切なのかという視点から、自大学の方針を定めることが大事なのではなかろうか。まずは自己を見つめて、一本の筋が通った芯がある人(大学)になることから。と自大学の執行部にも言いたい。

三つのポリシーの策定及び公表の義務化について

 最近時間がないので、教育関係者以外には分かりづらい表現も注釈等を省いています。ご了承ください。加えて前にも書いたエントリーのような気もしますが、検索をかけても書いていなかったようなので、書くこととしました。見たことがあるようでしたら重複ということで無視してください。

 

 学校教育法施行規則の改正があり、平成29年4月1日から三つのポリシーの策定と公表の義務化がなされることになった。

 

 このガイドラインを見てみると、DP→CP→APの順に策定するのだろうということがわかる(DPをPDCAの起点にすることから)。前々から個人的にもこの通りに策定するのだろうと思っていて、どういった学生を世の中に送り出すか、そのためにはどういった教育をする必要があるか、最低どういったレベルの知識を持った学生を受け入れるかという順が理想であるだろうと思う。

 

 一方で競争力がない大学になると、AP→CP→DPの順にしか策定できない。入ってくる学生に合わせてAPを作り、その学生をどう教育するかという視点でCPを作り、ここまではできるようになって欲しいということでDPを作る。

 

 競争力の差が策定順序にも与える影響。自大学はまだ理想の順でできている・・・?

就職活動における矛盾

 新卒一括採用が批判され、卒業後3年以内、あるいは5年以内は新卒と同様に扱う動きが広がっている。

 文科省も平成24年に以下の様な通知を出し、卒後3年以内は新卒扱いに・・・というような要望を出している。

 大学、短期大学及び高等専門学校卒業予定者の就職・採用活動について(通知):文部科学省

 

 恐らくこの時よりは更にこうした動きは広がっているはずであるが、残念ながら私は就職関係の部署に全く関わりがないのでこの方面には詳しくない。

 

 しかし、こうした動きが広がっているにもかかわらず、大学職員の採用においては新卒採用しかやっていなかったりする。本学もその一つ。

 

 学生を供給する側の大学が先んじてこうした動きをしないでどうする!?と思うのだが。

熊本地震を教訓に

 まだ被害が収まっていないが、今回の熊本地震を教訓に、各大学は災害に対する備えをしなければならないと思う。私自身、熊本の大学職員の方との繋がりがあり、日々様々な状況を聞いている。そうしたなかで、やはり大学は公的な機関であると感じた。

 

 大きな建物があって、しかもそれらはほぼ耐震化されている。そのため避難所として指定されていなくても自然と被災者が集まり避難所となる。避難所となった大学は、復旧作業に加え、学生の安否確認、日々の業務、そして被災者への支援など様々なところに人的資源を割かれる。ただでさえ自分たちも被災しているのに、やることが山積みとなるのだ。状況を聞いていると、現地の大学職員はほぼほぼ徹夜で対応している。自分も被災者であるため、仕事の隙間の時間は家族のケアにあてている。

 被災してから最初の何日間というのが一番重要だということはわかるものの、無理しすぎてこうした人たちが倒れてしまうことを一番に懸念する。頑張りどころなのはわかるが、頑張り過ぎないように。人さえ残れば絶対に復旧はできるのだから。

 

 今回の件で、災害に備え、近隣の県の大学で職員の相互派遣の協定を結べないかと思った。もちろん余震が収まらないなかで、自大学の職員を派遣するのはリスクがあってなかなか難しいことだとは思う。また、その土地や大学に詳しくないものが入ってもとも思う。

 しかし一方で、上記のように無理をしている他大学の職員の状況を聞くと、被災者が被災者を支援する状況となっており、そうした時に少しでもマンパワーでできることがないかと思うのだ。

 

 大学職員の職務というのは、結構大学毎に違うものがある。そのため、行って役に立つかと言われるとなかなか難しいものがあるとは思うが、少しでも現場の職員が休む時間を作れれば、意味があるんじゃないかなと思うのだ。施設なんかだとある種の御者であり、意外と役に立つのではないかとも思うが、どうだろうか。

 

 もちろん、思いが先走ってる感は否めないが、何かできることはしたい。思いが先走って現地に迷惑をかけることはあってはならないが。

投票所の設置について

 何度かブログにも書いたが、大学に投票所を設置してはどうかと思っている。これについて、本学のある教員から、選挙権が18歳となることを考慮し、政治について知る機会を大学でも設けるべきだという提案をした旨の話を聞いた。

 

 ただし、上の動きは鈍い・・・というより、政治活動のような見方をしているようで、危ない考えを持っているように思われている節がある。

 

 正直非常に残念だ。一方的な政治的な考えに基づく主張や、政治活動は避けるべきだが、そうではない社会活動の一貫である政治への参加については私は認めるべきだと思う。

 腫れものには触らないように、批判をされることがないようにというような意識が見えてならない。

 

 本来教育機関とは、様々な議論のできる場であるべきであって、世間からの批判を恐れて保守的になるような場になってはいけないと私は思う。

経験が邪魔をすることもある

 最近の自分に対して思うこと。

 経験を積んだ分、適切な解に行き着きやすいと感じることがある。一方で、たまにリスクの少ない解、無難な解となってしまっていないかを省みる必要があると感じている。

 

 いざというときに責任を追求されないように、事務として責任の逃げ道を確保した対応をする傾向に本学はあるが、果たしてその方向でいいのだろうか。事務の手間がかかるという理由で、学生にとってのベストな選択を邪魔してはいないかと思う。

 

 そういった意味で、経験に凝り固まってしまわないように人事異動は必要なんだろうなと思うし、新人の発想なんかは大事にしたいと思う。

 

 あなたは常にベストな選択はできていますか?自分にとっての都合で選択していませんか?自戒を込めて。