日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

言葉の力

 私は他の影響を受けやすい。特に人の言葉に。

 今まで言われた言葉や聞いた言葉で特に印象に残っているのは次の言葉だ。

 「知った時、わかった時が自分にとっての最速。だから、もっと前に知っていればとか、気付いていればと思うよりも、そこが最速なのだと受け入れる。そこからどう行動するかが大事。」(とある他大学の職員の方から言われた言葉)

 

 この言葉を聞いてから、仕事でもプライベートでも、もっと早く気付いていればと思うよりも、それが自分には最速だったのだと思うようになった。

 ※ 仕事の場合は、もっと早く気付けるよう行動していたか、知ろうとしていたかを考えはするが。

 

 上記以外にも、様々な言葉を色んな人や物(本など)からいただいて、今の自分ができている。

 

 そう思うのと同時に、自分は人に何か残せているのだろうかと思い返す。自分の後輩、同僚、先輩、その他関係する人、そういった人たちに自分は何か残せているだろうか。と。

 

 一番は前の部署の後輩に対して。

 厳しく指導したため、泣かせたことすらある。期待もあったし、仕事に対する心構えだったり、教育に対する想いだったりというものを継承してほしかったこともあった。それを伝える資格が自分にあったかどうかはわからないが。

 ただ、その職場を出るときには、自信を持って自分以上の職員を残せていけたと言えたし、それを誇りに思えた(実際本人にはその旨伝えた)。ちゃんと伝わっているとは思うが、その後輩にはそういったものを残せただろうか。

 

 私は様々なことに対して、厳しい指摘をすることがある。他大学の仲が良い職員からも、たまに棘がありすぎという突っ込みを受けることすらもある。

 

 言うべきこと、伝えるべきことは伝えるべきだと思っているし、それが健全だとも思う。しかし、厳しいだけじゃなく、人を動かす言葉を、また人に残る言葉で伝えられたらなとも最近思うのだ。

 

 そういう人になれたらなと思うが、まだまだ道は遠い・・・。

過去のJUAMの研究会記録を載せたいが・・・

 身元がバレる恐れがあり、載せられないなと思いとどまる。それらで得た知見も多いが、多分すぐ自大学にはバレる・・・気がする。

 

 ただ、こういう地区毎の研究会の情報共有は必要だと感じている。事務局だよりには簡単な報告があったと思うが、それらに加えて当日の資料なんかも共有できるといいと思う。もちろんアップできないものは除いて。

 

 特に思ったのは、ごく最近の文科省の方の件。同じ方が3地区で呼ばれている。それぞれの地区での議論を共有できれば、より深く掘り下げた質問ができるだろうし、場合によっては違う人を呼ぶことができたかもしれない。もちろん、直接話を聞くことは大切で、それによって理解も深まるとは思うが。

 

 せっかく会員専用ページがあるのだから、そこで共有するとかしてもいいのでは?

 

 後はアップされたらアップされたという通知がほしい。

 

 一考察。

過去の自分が今の自分をつくる

 中二病的なエントリーです。大学関連の内容を期待されている方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

 個人的な信念として、過去の自分が今の自分をつくると考えている。

 

 正しいと思うことは反対されるとわかっていても言う。その場の雰囲気を壊そうが、言うべきことはいう。やるかやらないかで迷ったらやる。メールも送るか送らないかで迷ったら送信ボタンを押す。恋愛なんかでも、想いは伝えるetc...

 

 実際にそれらが正しいかどうかはわからない。やらない方が結果的によかったかもしれないし、やったからこそよかったかもしれない。やらなかった、できなかった未来はわからない。

 なお、本当に重要なことなんかはめいいっぱい迷ったうえでそう決断するようにしている。迷ったうえでやらないことが正しいと思えばやらない(ちょっと言ってることが違う?)。

 

 他の人にとっては至極迷惑な人なのかもしれないなと思う。しかし、迷った時は、他の人には大変失礼だが、「他人なんてわからない」と割り切ることにしている。いくら悩んだって、言ってみないと行動してみないとわからないわけで、思ったより良い反応が来たり、以外な方向に話が進んだり、逆に悪い結果を招いたり、これまでも反応は様々だった。

 

 だからこそ、自分本位に考えることにしている。自分の人生を振り返った時に、今の行動がどういった結果をもたらすのか。やってきたという事実が自分を支えてくれると私は考えている。過去の自分が今の自分をつくる。だからこそ、今、後々に後悔しない行動をと心がける。

 

 迷惑をかけている方々、ごめんなさいm(_ _)m

給付型奨学金よりも

 以前から給付型奨学金よりも、より低年齢層への支給をと書いてきたが、給付型の奨学金創設がされるようだ。

 

 給付型奨学金よりも大学の授業料を補助しては?とかむしろ大学教育は無償化すべきだという議論、それに対して、高等教育を受けれる人は所得が高い人が多いのだからその必要はないのではないという議論など、様々な議論がある。

 

 であれば、以前書いたエントリーに似ているが、いっそのことその層に対してのみベーシックインカムを導入してはどうかと思う。働いていようが働いていまいが、ある一定の年齢層(仮に18歳~27歳まで)に対して、月3万円なり5万円なりを支給する。日本の労働制度では、お金が必要な若い時に給与が低いわけで、必要なときにそれを支給するというわけだ。その代わり、その年齢を超えてからは一定額を税金として徴収する。

 

 以前書いた以下のエントリーとは若干違うが、大学に行こうが行くまいが、それは個人の選択である。公的に支えるべきという議論、高等教育の社会的な価値等々の議論もあるが、それが多数を占めない以上、進学しない人に対しても配慮すべきだと思う。

hibiblog.hatenablog.com

 あくまでも私論。

グローバル人材

 グローバル人材の育成を・・・なんてことが叫ばれている現在、大学ではそういった人材の育成に力を注いでいる。以前、本学でも職員のグローバル化という話が出たことがあるが、その際に調査されたのはTOEICTOEFL等が何点以上ということだけだった。

 私は英語圏以外への留学をし、流暢ではないにしろ母国語以外を扱え、その文化も理解している(つもり)のだが、上記ではグローバル人材ではない。

 

 英語が最重要視されることは英語が公用語となっている以上は仕方ない。多くの文献は英語で書かれ、論文等も英語で書かれていないと引用すらされづらい。しかし、"英語"だけがグローバルなのだろうか?

 

 語学力ばかりに目がいくのは測りやすい指標であるため致し方ないのかもしれない。しかし、そうではないもの、例えば異文化への理解、配慮等にこそ目を向けるべきではないか。礼儀を重んじる我々日本人、目に見えづらいこと、測りづらいことにこそ価値を見出し、それが評価されてきたのではないか。そういうものこそ大事にしたいと私は考える。

 

 以前からこういったことを考えていたところ、以下のブログを拝見し思い出して記載した次第。

 

 グローバル人材育成を抽象的に考える人は英語教育を重視せず、具体的に考える人は英語教育に焦点化する - こにしき(言葉、日本社会、教育)

大学ランキングについて

 世界大学ランキングというものがある。あまりこうしたものは信用していないのだが、臨時増刊・別冊週刊東洋経済(以下)が気になって大学の図書館で読んでみた。

 すると、無視してもいられなくなりそうな気がした。

store.toyokeizai.net

 Twitterでも一部つぶやいたが、上記を読んで気になったのは次の3点。

 馳大臣の「寄付文化の醸成」

 日本学術会議大西会長「教授が自分の弟子を後継者にすることがある」

 「海外の大学に提携を申し入れたが、世界ランキングに入っていないことを理由に断られた」(有力私大)

  寄付文化の醸成については、寄付が税額控除となるような措置が実施されるとのことで、今後は増えてくることが予想される。ただし、日本はお金のない国であるから、税金を取れるところから取らなければならないだろう(軽自動車税や酒税のように)。寄付もそうして廃れてしまうのではないかと懸念した。そうならないよう期待したい。

 次の「教授が自分の弟子を後継者にすることがある」は、残念ながらそうした実情を私も見てきた。実力ではなく縁故が教員でも大事だったりする。こうした採用における不条理はなんとかしてもらいたいものだ。実力のあるものが採用される。そうした世界であってほしい。こういったものって落ちた人が請求を行って、あまりにも不条理だった場合は訴えたりもできるんではないかとすら思う。採用された人っていうのは誰だかわかるわけで、今時論文数なんて検索でヒットするわけで、差がありすぎた場合はおかしいんでは?って思うのではないか(研究者じゃないので勝手な推測で言っていますが)。

 

 さて、本題である最後の世界ランキングについての記載。このコメントは、ランキングに入っていないことで協定すら結べなかったということであろう。ランキングがそこまでの力を持ってきたのかということを非常に残念に思う。もちろん、一定程度の指標であり、大学があぐらをかいていていいというわけではないが、あまりにもこれに左右され過ぎではと思うのだ。

 

 以前ベネッセが日本版のランキングを作成するとの発表を行った。

resemom.jp

 海外の学生にとって見れば、どの大学がどの程度のレベルなのか、教育力等はどうなのかということは知りたいものではあろう。一方で、こうした営利企業、特に教育に深く関わり大学とも提携しているような企業がランキングを作成するということに違和感を覚える。

 

 それなりの必要性は認識するが、どうにも腑に落ちない。

 

 国ごとのランキングは、アメリカはもちろん、イギリス、オーストラリアには存在するようだが、それ以外はどうなのだろうか?アングロサクソン系だけ?

学費の負担

 以前にも書いたかもしれないが、検索しても見当たらなかったので記載。

 

 日本では学費負担者が父母であることが多いが、海外においては学費負担者が本人であることが多い。ここで大きな違いが出る。

 それは、学費負担者(仮に父母とする)が相応の権利を主張することにある。これは当然といえば当然であるのだが、大学側は学生側だけでなく父母も考慮して動かなくてはならない。そうなると、そこに対する費用(機会費用)や一種の利益相反(出欠を学費負担者に知らせる)なんかが出てくる。

 

 大学とは学生のためにあるものだと私は思っている。しかし、現状大学は、学生と父母の両方あるいはそれに加えて社会の三者を向いた政策を行っている。父母を無視しろとまでは言わないが、学生本位の教育になるようになってほしい。

 給付型奨学金の創設や学費の無料化などが議論されているが、実現すれば学生本位の、学生だけを考えた教育ができるのだろうか。そんな淡い期待を抱く。