日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

ボキャ貧と言われることについて

 文科省の施策や読んだ本について書きたいけども、調べつつ書かないといけないので、蛇足のブログです。たまには書いてアウトプットしないと。。

 

 さて、タイトルについて、最近ボキャ貧という言葉があるらしい。ボキャブラリーが貧困ということのようだ。ラインのようなスタンプで会話ができるもの、Twitterのような文字制限のあるものなどが影響しているようである。

 

 確かに、今では何にでも使える「ヤバイ」という言葉もある。料理であれば美味しいでも不味いでも使えるし、物であれば素敵、好みだという意味であったりなどなど、色んなものに"応用の効く"言葉だ。

 

 私は以前留学していたことがある。その際に気付いたこと、それは付き合う人によって使う言葉が違うということだった。人によっては流行り言葉を使ったり、日本語の「ヤバイ」というような言葉を使ったりする。その一方で違う友人は諺や喩えを織り交ぜながら話してきた。後者の友人と話すときは特に常に辞書が手放せなかった。

 こういう話をすると、後者のような人と付き合えと言われそうだが、後者は辞書に載っている言葉を使うから調べればわかったが、前者は辞書に載っていないために理解するのが難しかった。そうするとどうするか。最終的には日本語で理解するのではなく、現地の言葉をそのまま受け入れるという理解に至った。なんとなく感覚的なもので日本語での説明はできないのだが、ふっと腑に落ちる瞬間があったのだ。最終的には英英辞典(あくまでも例え。英語ではないので英英辞典ではありません)で言葉をひくようになった。まぁ通訳者、翻訳者としては向いていないということなのかもしれない。

 

 それはさておき、人によって言葉の癖というのがある。私であれば、よく「一方で」とか「一般的には」とかを使っているように思う。普段の癖を直すように、違った言葉を使ってみると良いのかもしれない。

 

 俳句や短歌が短い言葉で大きな広い世界観、情緒風情を表現したように、制約があるからこそ生まれるものもあると思う。短いなかでこそできる表現を。