仕事とプライベート
仕事とプライベートは別。
先日、普段の仕事の姿を知っていても、プライベートは別だからわからないという話をされた。大して仲の良い人ではなかったりすればなんとも思わなかったのだが、自分が信頼をし、素を見せられている、そんな関係性だと思っていた人からの言葉だったために、少々心を傷めた。
私自身、仕事とプライベートの姿が別であるということに異論はない。しかし、その人の所作や振る舞いにその人の本質が自然と出るように、仕事にもその人本来の姿があるのではないかと思っている。
同じ仕事をするのでも、人によってやり方(仕事そのもののやり方、他への配慮の仕方、根回し等)は違う。だからこそ、そこにその人の本質もあるのではないかと思う。実際私の場合、プライベートな付き合いももちろんそうだが、それとは別に仕事を通して信頼できる人なのかどうかというのはわかると思っている。仕事とプライベートをきっちりと分ける人もいるが。
私自身、仕事とプライベートを分けられている人間ではない。プライベートが仕事に、仕事がプライベートに影響している。それは、仕事をしだしてからのプロ意識であったり、知識の必要性であったり、学びの楽しさだったりを知ったからで、仕事とプライベートの境は曖昧だ。朝起きてはニュースを見ながら高等教育関連のニュースや職員ブロガーさん方のブログをネットサーフィンするし、仕事が終わってからも同様だ。それに加えて休日はそういった書籍なんかも読んだり、余裕があれば文科省の答申なんかも読んだりする。
※ もちろんそれ以外の趣味にも時間は使ってます。
休日は、プライベートなのか仕事なのかわからないような、発表や外の研修会への参加なんかもしていて、このあたりも曖昧な部分だろう。仕事に備えて普段から色んなことにアンテナを張っている(つもり)なので、分けろと言っても分けられないのが本音だ。
それってどうなの?っていう人もいるだろうが、そういう場での学びや気付き、そこで出会える人にも非常に大きな影響を受けてきた。自大学ではたまに変わってるとすら言われることがある私も、外では認めてくれる人、仲間がいた。
そういう人たちのようになりたいと思うと、私の場合はプライベートの時間を削って学ぶしかなかった。
ただ、それに対しての後悔はない。学ぶうちに楽しさを覚え、教育に関われていることを幸せに思えた。恐らく私は知識欲が大きいのだろう。未知のこと、自分が気付かなかったことを知ることに非常に大きな喜びを覚える。
私が影響を受けた職員の一人に松宮愼二氏がいるが、彼もまた以下のように述べている。
仕事とプライベート、分けられる人とそうではない人がいて、自分は後者だったのだろうと思う。
なんてことを思いつつも、先日私に話をした方は、本当はきっとそういう意味ではなく、仕事では壁がある。普段の自分が出せているわけではないし、完全な素ではないからわからないと言いたかったんだろうなと思いつつも、一緒に色んなことをこなしてきたなかで、私という人をわかってくれているものと思っていたから、なんとなく自分を全否定された気がして結構なショックを受けた。
この砕け散った信頼というべきか想いというべきかわからないものを、なんとかかんとか自分の中で消化させねばと思う。