日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

補助金依存悪循環、これって大学にも当てはまる

 補助金依存の悪循環、薬物依存をパロディとしている図である。これって大学にも当てはまる。

  文科省は、特色あるプログラムに対して期間限定で補助金を出し、それ以降は各大学が独自で予算付けをし、継続するかたちをとっている。こうした取り組みは、ビジョンのある大学では、元々やりたいプロジェクトがそれに一致していたり、あるいは特色あるプログラムを既にやっていて、そのプログラムに対して補助金をつけてほしいという要望を行い、実現しているものである。一方ビジョンのない大学では、補助金獲得が目的となり、補助金に沿ったプログラムに従って施策を行い、その後は惰性で続けられることが多い。やりたいことではないため、大学としての軸がブレてしまっている状況が見られる。

 

 ビジョンがある大学でも、そうでない大学でも、補助金が切れた後は、それをどうやって継続するかが課題となる。予算付けが決まっていない大学では、事業継続のために学内で新たなプロジェクトを立ち上げ、それが切れたらまた新たなプロジェクトを立ち上げるということを繰り返す傾向にある。そこには長期のビジョンはなく、毎回プロジェクトが無くなる度に走り回る教員の姿を見る。その姿を見ると、当初の目的とはズレてしまっているのではないかと思えてならない。

 

 学費と同様に、本来であれば受益者負担が原則なのだが、様々な理由付けを行ってそれを何とか回避しようともする。学生の立場にとってみれば良いことなのかもしれないが、そこに受益者以外の学費が投入されていることを考慮すると、果たしてどうなのかと思う。一般に文系の費用が理系に投入されているという事実はあるのだが、そういったものとは違い、素直に受け入れられない自分がいる。

 

 恐らく、本当にそれが必要なのか、その事業、目的の妥当性、優先すべき他の事項があるのではという意識があって、そうした議論がなされぬままに事業の継続が目的になってしまっているように見えるからかもしれない。

 

 最近は国際化という面から、海外へ渡航する学生への補助が増えている。それはそれで大切なことであり、そうした学生が大学のロールモデルとなり、大学のアピールにもつながる。しかし一方で、人数の大枠を先に決めてしまって、言語の成績があまりよくなくても、希望者が居れば海外に派遣したりするような状況も見られるようになっている。

 誰でも留学が可能な状況にすることは大切なものの、より多くの学生に還元できるような施策をすることも学費負担の公平性という観点から重要なのではないかと思うのだ。

 

 例えば、そうした費用利用して学食の値段を下げる(学食は一般の方も利用できるので、学生証をかざせば割引にするなどする)。あるいは、学生発案のプロジェクト経費を創設、増額する。学内でのプリンタ利用枚数を増やすなど。

 

 特色あるプログラム等に経費をつけることも大事だけども、もう少し、全体にも還元するような思考を持ってほしいなと思うのです。