教育というものの身近さ
以前書いた気もするのだが、教育は多くの人が受けてきたことから、議論しやすいテーマである。義務教育はほぼ全ての人が、高校教育、大学教育等も今は多くの人が受けるようになった。
自分が受けたものだからこそ議論がしやすい。だからこそ、さまざまな意見が生まれ批判もされやすい。ただ注意しなければならないのは、教育も変化しているということである。自分が受けた時代の教育と今行なわれている教育が同じではない。
特に大学は駄目だと言われるのは、その当時大学で受けた教育によるものだろうと思う。もちろん今でも駄目な大学は絶対にあるだろうが。
その変化を感じてもらう必要があるのかなと思っている。
はっきりとした案があるわけではないのだが、大学に来てもらう、アクティブラーニング型の市民講座を行うなど。
アクティブラーニングが完全に是だとは思わないが、講義タイプの授業が批判されるのに、市民講座は講義タイプが多い気がしたので思った次第。
頼まれたら断らないという姿勢
JUAMの総会でも元会長の方がおっしゃっていたが、頼まれたら断らないという方がいる。この姿勢は凄いことで、自分にはまねできないなと思う。
自分の場合は、頼まれて面白そうだったら断らない。
時間にも限りがあって、例えば発表とかを頼まれた場合、それに関して準備する時間が必要になる。もちろんいい経験にはなるし、そこでの出会いもあるだろう。でも面白いと思わなかったら受けるかな?と。
以前もブログに書いたが、お願いされると断れない人というのがいるので、そういう人から回ってきた依頼は別として、面白そう、一緒にやってみたい、そう思えないと自分は受けられないな。きっとそう思ったから受けたんじゃないかな?とふと思ったのだが、そう思えるものしかこないのだろうか。
一定量のインプットは必要
最近とあることがきっかけで論文やら文献やらを読んでいる。
そうしたインプットをしていると自然とアイデアが出てくる。
アイデアは複数のものの組み合わせであったり、既存のものの適用の仕方を変えたりしたものだったりなので、インプットしていると湧いてくるものだなと改めて実感している。どちらかというとクリエイティブな方らしいので、そうなのだろう。
知識詰め込み型が批判されることがあるが一定量のインプットは必ず必要で、やはりバランスなんだろうなと身をもって実感した次第。
自分の欠点として、自分にできることはすべての人ができるものと思ってしまうところがある。先日自分を卑下していた某実名ブロガーではないが、自分にできないことがあるように、自分にしかできないことがあると思うようにしたい。