日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

緊張しいの自分

 自分は緊張しい(緊張しやすい人)である。

 それを恥ずかしく思ってきたけれど、最近は必死に準備してきたからであったりだと思うようになった。それ以外にも人の期待に応えたいからだとかそういうのもあるだろうけど。

 

 色んな理由はあっても、いい加減な気持ちではなく、本気でそれと向き合っているからこそ緊張するのだと思う。自分で言ってて恥ずかしいけれども、そういう自分は愛すべきなんじゃないかなと。ふと思ったこと。

我慢できないこと

 前Twitterでも書いたが、自分の友人の悪口を言う人とは仲良くなれない(建設的な批判は別として)。そういう意味では友人になる順番というか縁というか大事だなと思う。

 

 それと同時に、人の見た目の批判はあまり聞きたくない。

 ハゲとかデブとかチビとか、見てすぐ分かることをいちいち言葉にしなくてもいいじゃないかと。見た目は中身の一番外側とも言うけれど、なかなか変えられないものでもあるし、本人だってわかってるし気にしているかもしれない。

 

 

 言いたいのはわからなくもないけれど。

頼まれたら断らないという姿勢

 JUAMの総会でも元会長の方がおっしゃっていたが、頼まれたら断らないという方がいる。この姿勢は凄いことで、自分にはまねできないなと思う。

 

 自分の場合は、頼まれて面白そうだったら断らない。

 

 時間にも限りがあって、例えば発表とかを頼まれた場合、それに関して準備する時間が必要になる。もちろんいい経験にはなるし、そこでの出会いもあるだろう。でも面白いと思わなかったら受けるかな?と。

 

 以前もブログに書いたが、お願いされると断れない人というのがいるので、そういう人から回ってきた依頼は別として、面白そう、一緒にやってみたい、そう思えないと自分は受けられないな。きっとそう思ったから受けたんじゃないかな?とふと思ったのだが、そう思えるものしかこないのだろうか。

一定量のインプットは必要

 最近とあることがきっかけで論文やら文献やらを読んでいる。

 そうしたインプットをしていると自然とアイデアが出てくる。

 アイデアは複数のものの組み合わせであったり、既存のものの適用の仕方を変えたりしたものだったりなので、インプットしていると湧いてくるものだなと改めて実感している。どちらかというとクリエイティブな方らしいので、そうなのだろう。

 

 知識詰め込み型が批判されることがあるが一定量のインプットは必ず必要で、やはりバランスなんだろうなと身をもって実感した次第。

 

 自分の欠点として、自分にできることはすべての人ができるものと思ってしまうところがある。先日自分を卑下していた某実名ブロガーではないが、自分にできないことがあるように、自分にしかできないことがあると思うようにしたい。

婚活

 ある有名ツイッタラーが婚活するかもしれないとの話題から。

 

 聞くところによると大学職員は安定、高給取りのイメージで職場での紹介や斡旋?も多いようだ。自分は友人の紹介くらいは受けたことがあるものの、上司等の紹介は受けたことはない。

 

 年齢のこともあってそういう話題もちらほら言われる。某有名ブロガーとも話をしたことがあるが、この時代、男性の方が仕事を辞めるという選択肢もあっていい。固定観念に縛られるのではなく、家族にとって何に優先順位を置くか。その観点で選択をしたいと思う。

 

 自分が辞めることになったとして、家事、特に料理には自信がないものの、やればなんとかなるかなと。

 予定は全くありませんが…

人からの評価

 同じような記事を書いた記憶があるが、つい最近、同じような言葉を違う人二人からかけられたこともあり、書くことにした。私にその言葉をかけたお二人がこの記事を読むと、私が誰だかわかるかもしれないが、気付いたとしてもきっと黙ってくれるだろうとの期待を込めて。

 

 誰から評価をされたいのか?それをよく考えなさい。

 

 私は誰かに評価されたいと思って行動した覚えはないのだが、私の言動が評価されないことに対する不満に近いものであったことからそう思われたのだろう。確かに評価されないことは辛い。でも、誰かに評価されたいから行動するというのは、とてもつまらないことだと私は思っている。

 

 自分が問題だと感じていること、やりたいこと、楽しいこと、そういった夢中になるというか、衝動的なもの、自分を突き動かすものがあることを私はやりたい。人の評価ではなく、自分の評価?を軸に。

 

 美辞麗句を並べて賞賛されたところで、それが自分が納得できないこと、楽しくないことであれば、それはとてもつまらなく、むなしいものではないかと思う。

 

 もちろん人に評価されることは嬉しいしありがたい。特に尊敬する人や近しい人からの評価は。でも、それを軸にしてはいけない。軸は自分に。それが評価に繋がればラッキーくらいで。でないと自分を見失ってしまうと私は思っている。

 

 Twitterにも書いたが、ある人からは

 「自分が評価されたいと思えないような人の評価は気にするな」

 と言葉をかけられた。それは本当にそのとおりで、すごく気持ちが楽になった言葉だった。そういう言葉をかけてくれる人が周りにいてくれることがありがたい。

 

 また、評価は人がするものだし、全員が全員100%評価するなんてことはありえないのだから。

 

 一方で、自分だけで考えていると、視野が狭くなり見えなくなることがある。自分軸にしつつも、人とも議論し、より深く考えられたらいいなと思う。

大学職員ブロガー、ツイッタラー

 Twitterをご覧の皆さまはご存知かと思いますが、ただいま絶賛風邪ひき中です。土曜あたりから調子が悪く、喉と鼻から来ている模様。気温が急に下がったりしたからかなと思いますが、皆さんもお気を付けください。

 

 さて、標記の件もTwitterで呟きましたが、記録も兼ねてブログにも記載します。

 

 大学職員でブログやTwitterをしている方というのは、考えが深い方であったり、すごく優秀な方が多いので、研修や講演を依頼したいというつぶやきがとある方からあった。

 こういった界隈で優秀な方、優秀に思える方というのは、既にどこかで発表をしていたり講師をしていたりする。目立つ人はどこでも目立つし、優秀な方というのは大体どこでも優秀なのだ。

 

 Twitterやブログは匿名で書いてあることも多いが、上記のようにすでに名前が売れている方も多いことから、別のルートで知り合ったとすれば、研修等の依頼も全く問題ないのではないかというのが持論である。依頼者には名前を明かすことになるだろうが、その方にとっても業績、経験が積めて良い機会になるのではないか。

 

 大体講師依頼をするような人は、あの人かなと想像がつく。

 

 残念ながら、私には来ることはないので、さらに研鑽を積まねばと思う次第。

 一緒に何かしようというお誘いは大歓迎です。