日々綴(とある私立大学職員)

日々思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も日々の思いをつらつらと(とある私立大学職員)

人はミスをする

 人間だからミスを全くしないなんてことはありえない。だけれども、それをいかにゼロに近づけるかという意識を持つことは大事だと思う。

 また、自分が間違っているかもしれないと思うことは大事だ。「絶対に間違わない」なんてことはない。

 

 自分は間違いを犯す。そう思っているだけで仕事のミスは減る。

 ミスを減らすことばかりに目がいってはもったいないけれども、大学の職員(事務)はミスをしないことが当然だとされる。しないことが当たり前なのだ。

 

 Twitterでも呟いたが、自分に絶対の自信を持つ人がいた。説明を聞くとどう考えても常識的におかしいと思うのだが、それを指摘したところで間違っていないと主張するので埒があかない。なぜそこまでの自信をもてるのか、ある意味すごいなと思った。加えて常識って人によって違うものだから、常識って難しいなとも思った。

 

 最終的には根拠を示し、誤っていることを理解してもらった。だけれども、誰からであれ指摘をされた場合、間違っているかもしれないと思わないのかな?との疑問も思った。正直、一緒に仕事をするのは怖い。

 

 完璧な人はいない。人間だからこそミスをする。だからこそ、自分が間違っているかもしれないという意識を持つことは大事なのではないだろうか。そういう人とこそ一緒に働きたいなと思う。

JUAMへの提言

 別の考え事でアイディアが浮かびそうだなと考えていたら、JUAMへの提言へ思考が移った。

 

 以前JUAMで会員数の伸び悩み等があるとの話を聞いて。

 会員数を増やしたいのであれば、例えば次のような手を打ってはどうか。

 1.新規会員の初年度の会費を10,000円→5,000円に割引く。

 2.他の学会(大学教育学会等)と連携し、他の学会員と兼任会員であれば1と同様に費用を割引く。

 特に2をすることで、一度離れた会員も戻ってくることが期待される(多分)し、より研究熱心な会員が増えることで研究活動の活性化も期待されるのではないか。

 

 上記に加えて、大学行政管理学会の会長等を本務の無い退職した方にしてはどうかとも思っている。というのは、行政管理学会の正会員は、すべて本務を持った大学・短期大学の教職員である(実際は職員がメイン)。職員は、組織の方針から外れたことはしづらい。

 このような大学行政管理学会の大学職員がメインの実務者団体は、実務者の立場から文科省等へさまざまな提言があっていいと思う。それが本務をもった大学職員だとしづらいのではないか。(私のような下っ端が知らないだけで実際にはしているのかもしれないが)

 

 なんてことを思った次第。

所得連動型奨学金について

 標記の件について、記事を紹介してもらい読んだ。

 大学無償化の本当のコスト:英国から学ぶ教訓

 https://www.rieti.go.jp/jp/special/p_a_w/094.html

 読んで面白いなと思った点は、

 ・イギリスの場合、学費を有償にした後の方が進学率が上がるとともに、年齢層が上の進学者数も上がっていること。

 ・社会的格差の縮小にも寄与したこと(貧困層の進学率も向上。ただし、まだかなり大きな差)

 ・授業料導入によって高等教育の質が上がったこと(元々なかったものが創設されたため、学生一人当たりの資金が増加)

 

 疑問に思った点

 ・授業料有償化は所得連動型ローンであること、また生活費の補助も有償化後増えている。進学率向上は所得連動型による収入確定後の安心感からなのか、それとも生活費の援助が増額されたことによるものなのか。両者が組み合わさっているのだろうが、どちらの影響がより大きいのか。前者は無償の時には不要だったわけで後者の影響がより強いものと思われる。そう考えると適切な生活費の補助はいくらなんだろうか。

 ・所得連動型の場合、卒業後海外に出た場合どうするのだろうか。所得の把握をどうするか、また返済金額は。

 調べてみたところ、イギリスの場合は現地での物価水準等をもとに決めているようだ。

http://www.jasso.go.jp/about/statistics/__icsFiles/afieldfile/2015/10/19/ch5_studenloanuk.pdf

 月々の返済額を算定する際、どのような閾値を設定するかの問題が生じる。なぜならば、渡航先の国によって、物価や給与の水準は異なるため、イギリス国内で適用している閾値(例:16,910 ポンド(Plan1 の場合))を単純に現地の通貨単位で換算して返済額を算出するのは相当ではないと考えられるためである。このため、海外に居住している場合の閾値は、その在留先の国ごとの物価水準を考慮して計算し設定している。その閾値の額は、世界銀行(World Bank)が公表している情報を利用して計算している。

(略)

返済は口座振替(DIRECT Debit)により行う。

 日本で導入された場合は定額の見込み。

http://www.jasso.go.jp/about/disclosure/sonota/saikenkanrikaishuutou/__icsFiles/afieldfile/2017/06/06/28_1_sankou_shiryou_5.pdf

 (16)海外居住者の所得の把握・返還方法
 定額返還型の場合の返還月額とする

 マイナンバー制度では海外居住者の所得を把握することができないため、卒業後海外に居住した場合の返還月額は、定額返還型の場合の金額とすべきである。なお、海外居住者であってもマイナンバーで所得を把握できる場合には、新所得連動返還型による返還月額による返還を可能とすることが適当である。

 日本より物価水準の低い国にいくと返済がきついという問題点があるのではないか。

・学費有償化によって大学の質が向上したとあるが、有償化した後も大学への補助金は継続されたということだろうか。(イギリスの制度を学んだ記憶があるものの忘れてしまった・・・)

 

 改めて、上記のリンク(学生支援機構のもの)

http://www.jasso.go.jp/about/statistics/__icsFiles/afieldfile/2015/10/19/ch5_studenloanuk.pdf

 を見ると、イギリスの学費の回収率の低さ等々の課題が散見される。日本で所得連動型奨学金を導入した場合、それらの課題とどう向き合うか。

 また、所得連動型奨学金を導入した場合、日本の財政上、大学の補助金を削減するのではないかとも予想される。各大学の財政も逼迫しているなか、大学の役割、そこに求めるもの、あるべき姿などを社会として改めて議論する必要があるのかもしれない。

 

 以下それ以外に思ったこと。

 イギリスの場合、生活費の補助があるのであれば学割は不要では?(実際にはある)

学生優遇のイギリス。日本より恵まれているイギリス大学留学3つの『学割』。 ~Sena.Y(イギリス大学留学生) - 留学プレス(PRESS)|留学・旅・グローバル教育のニュースサイト

 あとは大変失礼ではあるが、明らかに返済が見込めない高齢者等の入学者に所得連動型奨学金を適用するかどうか等も導入時は議論が必要だと思う。

映画「ギフテッド」を見て

 映画「ギフテッド」を見た

 Twitterでも書いたが、才能がある人は特別な教育を受けることがその人にとって幸せなのだろうかと考えられる作品だった。

 

 特別な教育を受けることが人類のためになる。それはそうかもしれないが、その人にとっての幸せとはなんだろうか。

 

 日本には飛び級制度がない(千葉大学や大学院等の飛び級の一部例外は除く)。それは才能のある人にとっては退屈なことなのかもしれないが、同年代との付き合い方や発達段階での心の成熟にとっては飛び級が無い方が良かったりするんではないだろうか。

 

 飛び級=善だとは必ずしも言い切れない。

 

 調べられていないが、飛び級に関する本や論文を見てみたい。海外では制度ができて年月が経っているから、きっとそれらについても考慮された制度や仕組みになっているだろう。今後の興味関心。

新年

 新年明けましておめでとうございます

 今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

 

 今年はいろいろと動けそうな気配があって

 新しい取り組みもできそうな気配もあり

 楽しみな年です

 1年終わったときに楽しい1年だったなと

 思える年であるように

 後悔のない決断と行動をしたいなと思います

 振り返ったときにでもあれは間違いじゃなかったと言えるような

 

 

 具体的な内容は身バレが怖いので書けませんが

 きっとすべて上手くいく

 

  おみくじも中吉でいいこと書いてあったし

 評判の神社でお守りも買ったし

 

 常に自然体で

 そして笑っていられるように

 自分らしくいられるように

 そんな一年であればと思います

 

 

 皆さまにとってもそんな一年でありますように

 

 拙い文章で学ぶところもあまりないブログかもしれませんが

 本年もどうぞお付き合いください

ある取り組みでの話

 やったって仕方がない。とりあえず形だけ作ればいい。そんな雰囲気が満ち満ちたものだった。

 

 自分はどうせやるのなら何かを残したいし、意味のあるものにしたい。また、本気でやることで何かを残すこと、何かを掴むきっかけになったりすると思っている。

 

 何か新しい取り組みをするとき、それができるかどうかはわからないけれども、少なくともやる方が熱意を持ってやらないと絶対にできないし、人には伝わらない、人を動かすことはできない。

 

 もっと自分にできることがあったんじゃないか。どうすればもっと上手く議論ができただろうか。そんなことを思った。

 

 悔しいな。

「ありがとう」と言うこと

 ある方のTwitterで、店員さんに「ありがとう」というのはおかしいのではないかと友人に言われたとの声があった。自分自身、誰にでも「ありがとう」と言うので、全くおかしいとは思わなかった。

 

 話は変わり、今日、車の車検からの半年点検があった。自宅にまで取りに来てくれて、親切丁寧な対応をしてもらった。結局どこにも異常はなく、オイル交換のみで少し申し訳ないくらい。この車検をしてもらったところは、長年仲良くさせていただいている方から紹介してもらったところで、非常に気持ち良い対応をしてもらっている。この半年点検の際にも思ったのだが、心地良い対応をしてもらったら自然と感謝の言葉は出る。

 

 勝手な憶測だが、店員さんに「ありがとう」というのがおかしいと思う人は

 ・店員より客の立場が上だと思っている

 ・当たり前のことにお礼を言うのは変

 ・ありがとうというのがただ恥ずかしい

 だと思っているのかなと。

 ちなみに店員さんより立場が上だと思っている人は、立場によって態度を変える嫌な上司になりそうだなと勝手に思ってしまったり。

 

 またまた話は変わり自分の留学中の話。

 留学中に「いただきます」と「ごちそうさま」をしていたら国の文化もあって変だと言われた。何の宗教だと。その際は宗教ではなく、習慣で食事への感謝だと説明したが、奇異の目で見られるのはわかるなと思った。食事をとる場所によっては、日本人だとわかって危ないこともあるのだろうと、一時期「いただきます」と「ごちそうさま」を言わなかったときがあった。しかし、夏休みに同時期に別の大学に留学していた友人に会った際、友人も同様のことを言われたようだが、それでも「いただきます」と「ごちそうさま」を変わらずにしていた。その姿を見て、ブレないってすごく素敵なことだなと思った。自分が正しいと思うこと、自分のあるべき姿というのを曲げない姿勢、見習いたいと思った。

 

 社会を生きていくなかで、色んなストレスっていうのはあって、それを人にぶつける人もいる。だけれども、わざわざ人にストレスをぶつけることなんてなくて、多くの人が心地良く過ごせていけるように、少しずつの気遣いっていうのは必要なんだと思う。

 

 例えば、自分が店員だったとして、感謝されないより感謝される方がいいし、心地良い人には心地良い対応に自然となってしまう。そう思うと店員さんに「ありがとう」と言うのは自然じゃないかなと私は思う。

 

 また、「ありがとう」と言える大人でありたいし、「ありがとう」と言うことを恥じる大人でもありたくはない。自分が理想とする姿であるために、自分はこれからも「ありがとう」と言い続ける。恥ずかしいのはそれを言えない自分だと信じて。