日々綴(とある私立大学職員)

日々思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も日々の思いをつらつらと(とある私立大学職員)

研修メモ(IR関連)

 メモの前に、ここ最近、Twitterが荒れていた(?)ことを謝罪いたします。ある方からもブラックだったと言われ反省しております。相手は何も思っていないのに、自分だけが落ち込んでても仕方がないので。

 

 さて、とあるIRの会に参加をいたしました。IRは私の専門ではなく、門外漢がすごかったのですが(苦笑)、色々と思うことはありました。会の内容等に触れるとあまり宜しくない面もあるかと思いますので、私なりの感想や疑問点のみ記載します。そのため、あくまでメモの類である点ご容赦ください。

 

○IRについて

 ・教学系のIRはなんとなく出尽くした感があるのではないだろうか。

 概ねデータを取る場所は、入学時、途中の成績、卒業時、卒業後等、一定の場所ないしは特定の時期になる。そのため、IRというものに意味はあるものの、これからの劇的な変化は起き得ず、それらから得たものからの改善であったり、大学間の共通事項、ある大学独自のものというように、ある程度収束していくのではないだろうか。まだIRを作っていない大学などは、別の大学がやっている方法を真似れば、ある種のシステムのように、ほぼほぼパッケージ化されたものが導入できるのではないかという印象。一方でその他のIR(評価や経営等)については、特に私学ではまだ発展の余地はあるのかなという印象。

 ・倫理面についての不足感(不安感)

 IR=良いものという印象、導入すべきだという議論に偏っていないだろうか。

 FERPAと言われる学生データの取扱(あまり詳しくありません)

 執行部の恣意的な使用に対する倫理教育

  執行部の意向に沿った情報のみを公開したり、不都合な情報は不開示としたりする状況

 IR担当者の倫理教育

  上記執行部と同様に、不都合な情報から目をそむけたり、執行部の意向を忖度してしまったりする状況

 IR担当者の独立性

  職業倫理として、執行部が不都合な情報を隠そうとした時に、それに対して職業倫理として立ち向かうべきところもあるので、一定程度の独立は必要ではないか。

 ・システム改修との連携

  一定期間(概ね5年)に一回システムのリプレイスが行われることが一般的なので、それに合わせて、データの仕組み(様式)を合わせたりすると、IR担当者がデータを加工する手間が省け、スピード感も出るので、そうした改修との連携は大事だろうなと思う。

 ・IRで楽をしようという思いもあっていいのでは

  現状の仕事を少しでも楽にしようと思うと、データベースを作っておき、そこから必要な情報を取るのが早い。特に教員の業績や調査回答など。そうした意味で、少し今の仕事を楽にしようという思いからIRがあってもいいのではないかと。少し力を抜いて導入してもいいのかなと思う次第。

 

 なんとなく頭に浮かんだのは、日本が経済発展してきた際に公害が起き、それが現在中国でも起きていること。この経済発展と同じように、IRでも負の側面に後から気付いてしまいそうな感があるなと。あくまで私感です。ただお話をさせていただいた方の中に同じような考えを持つ方がいて、非常に心強く思いました。

 

○質保証について

 ・科目のナンバリング

 単位互換を前提として作られている制度なので、現状の日本のように、各大学でバラバラのナンバリングは恐らく意味がない。カリキュラムマップはツリーで十分。ただし、科目の順次性、難易度を示すものには使えるようだ。

 

 

 IR自体が専門職と言われたり言われなかったりするが、これは日本のジョブローテによるものだとも思われる。ジョブローテしても業務がなんとか回っている。専門職ではなくて良いのでは?という考えではないかなと。ジョブローテ自体良い面も悪い面もあり、動かされる方にとっては部署次第でほとんど転職のような状況である。専門職系と将来の幹部候補のようにいくつかのパターンがあってもいいのではないかという印象。

 

 それと、日本の場合であるが、問題や課題が見つかった場合、そこを改善しないと指摘をされるイメージがある。それはそれでいい面かもしれないが、緊急性がない場合は限られたリソースのなかで、今は置いておくという判断もあっていいんじゃないかなと。

 

 最後に個人的な感想。

 Twitterにも書いたが、情報交換をさせていただくなかで、なぜそう思ったのか?と聞かれ回答に困ったことがあった。加えて大学院進学を勧められたが、思考がどうやらそっち側らしい。どちらかと言うと、思考が変わっていると言われる方だったので、そっち側なのかとある意味嬉しかった。勧められたのは広島、熊本、桜美林etc...

 考えてみよう。

 

 メモなので雑多ですがご容赦ください。

上に立つ人に必要なもの

 上司となる人間に必要なものにはいくつかの定義がある。

 それはもちろん知識であったり、下への配慮であったり下を育てる力、判断力などが挙げられるだろう。

 

 先日コミュニケーション能力が足りないと書いたが、それ自体は間違えではないものの、それよりも自分が平常(フラット)であることの方が重要だと思う。

 自惚れているのかもしれないが、自分がフラットであれば大抵のことには対処ができる。

 

 これも記載したことがあるかもしれないが、大変お世話になったある引退した職員の方に、お前は既に課長になるべき器だと言われたことがある。この時は一瞬喜んだものの、その後にさっさと部長レベルまで行けと言われた。

 

 上に立つ人に必要な能力というものを冷静に整理していけば、一般企業と大学でもそんなに大きな違いはないと思う。既にある程度整理や定義化されたものもあるのだろうと思うので、あえてここでは整理しない。

 

 じゃあ何が言いたいのかと言われると若干困るのだが、ただ単にここ数日で自分が思ったこと。上に立つ人間は、自分がフラットでいて、常にできるだけ冷静でいることとともに、人を引っ張る情熱というものが大事なのではなかろうか。

 

 子供っぽいようだが、人を引っ張り、その熱を伝染させ、組織を動かしていく。そんな人に自分は付いていきたいんだろうなと。

 

 その両方が自分にはまだ欠けている。特に冷静さ。

 

 冷静さが足りずご迷惑をお掛けしている方々、この場を借りてお詫び申し上げます。

コミュニケーションを学ぼうと思ったきっかけ

 ある方から「お前と話すとコミュニケーションが疲弊する」という苦言をいただいた(一言一句同じではありません)。

 いつもプラス思考でいようとは思っているものの、流石にこの言葉にはまいった。

 どうでも良い人なら何とも思わないこともできただろう。

 でもそうではない。

 

 言葉のニュアンスであったり、癖、お互いの距離感、そういったものが下手なんだなと改めて思い知った瞬間。

 

 ちょっと高等教育は置いといて、コミュニケーションスキルを学びたい。心からそう思う。

 

 おすすめの本があればコメントなりメールでお知らせいただけると幸いです。

 

大学生は大人なのか。

 大学生とは大人なのか。この議論は18歳に投票権が与えられた時によく議論されていたと記憶している。

 

 大学内においては、大学生を大人として扱うという名目で、自ら情報を取るよう指導したり、手続きの締め切り等の厳守、窓口での態度の注意、規範を持った行動等を求めているところもある。その一方で、手厚いケアをしている大学も多く、そうした大学については、大人なのだからそこまでする必要はないとの指摘もある。果たしてどうなのだろうか。

 

 大学にとっては、大人として扱うほうが楽だ。自分でやりなさい。一人の大人なのだからできて当たり前。そんな言葉も所属大学ではよく聞く。

 

 しかし、大学生とは大人と子どもの中間という捉え方ではだめなのだろうか。

 

 大学とは社会に出る前の最後の準備期間でもある。もちろん中学、高校を卒業してすぐに社会に出る人もいるが、その人たちが社会に出てすぐに”大人”となれたかは議論があるところではないだろうか。社会に揉まれる中で大人になっていく側面もあると思う。

 

 これだけ高等教育への進学率が高まっている現在、また実際に大人になりきれていない学生が実際にいる現状、すぐに大人として扱うには限界がきているのではないだろうか。もちろん、それぞれの大学に入学する層によっても違うという議論もあるだろうが、そんなに学生に求めなくてもと思う次第。

 

 少々色々あり、なんとなく文章が乱れている気もしますが、ご容赦ください。

コミュニケーション

 コミュニケーション能力、よく言われる言葉だが自分にはこの能力が足りないようだ。

 Twitterでも書いたが、発想が人と違うと言われることがよくある。この意味は、プラスに捉えれば独創的、創造的。マイナスに捉えれば変わっている、偏屈なんてことになるだろうと思う。発想が違うこと自体は悪いことではなく、さまざまな意見があった方が多様性が担保できる。しかし、そこにコミュニケーション能力が足りないと結構キツイものがあるなと最近思う。

 つまりは和を乱すであったり、人から理解されづらい、そんな面が自分にはあるのだと最近つくづく思う。

 

 採用学においては、コミュニケーション能力は伸びやすい能力とされている。さまざまな知識を得ること、自分の興味関心の向いたことに力を注いできたが、コミュニケーション能力をつけることも学ぶ必要があるなと感じる次第。

女性のキャリアについて

 女性のキャリアについて、以下のブログでも記載されているが、私なりに思うことを記載したい。 

photon28.hatenadiary.jp

 

 女性のキャリアの中断と言うと、産休育休によるものである。私が男で、且つ不勉強だからこれ以外思いつかないのかもしれないが、これ以外にあったら教えて欲しい。

 

 育休産休によってキャリアが中断されるという言い方は、なんとなく子どもを障害のように扱っているようで嫌なのだが、それはさておき。これについては、大学教員も同じである。一定の時期研究が中断されるというのは、なかなか大きなハンデである。実際に私の知っている女性教員の方は、育休をほぼほぼ取得せずに産休だけで復帰した。理系であるのが大きかったのかもしれないが。

 

 女性がキャリアを中断しないでいいようにするにはどうしたらいいか。

 単純に男性が育休をとればいいのではないかと思う。男性にとっては、育児に関わることで父性が芽生えるきっかけにもなるだろう。

 また、そもそも論として、ずっと休むのではなく、週の半分半分でお互いに育休を取るような働き方はできないのかなと思う。完全に休むのではなく、週3日ずつ働く等。

 (話が変わってしまうが、育休については、一定期間、男女両方が完全に休むというのもあってもいいのになと個人的には思う。それくらい重労働だと聞くので。)

 

 女性から見れば、男性に何ができるという部分もあるかもしれないし、母親だから自分がという責任感もあるかと思う。しかし、それは女性の雇用環境にとっても良くないのではないのかなと思うのだ。

 企業側、雇用者を雇う側からすると、多様性等の観点は別として、一定期間居なくなることが予想される女性を雇うよりは男性を雇った方が良いという考え方にならないだろうか。そういった企業が社会的にどうか、また就活生から選ばれるかどうかは別として、経営だけを見るとそうなるのではと思う。男性ばかりの雇った方が得じゃないか?と。

 

 現在の女性活躍が叫ばれているのは、女性の雇用、キャリアの問題であると思う。女性の役職者を何割!という目標を立てたり、ペナルティを与えたりするのではなく、どうすればキャリアを中断せずに済むか、また女性のみに負担(育児が負担とは言いたくはないが)を強いる状況を改善する方に目を向けたほうが良いのではないか。それらが改善すれば、自然と女性の役職者も増えてくるんではないかな。

外部研修等への参加

 この件、もしかしたら以前書いたかもと思って記事を検索してみたが、該当するようなものがなかった。もし見たことがある方がいたら同じような内容なので読み飛ばしください。

 

 自分が外部研修等へ参加するのには下記のような理由がある。

 1.その分野の知識を学びたい、聞いてみたい

 2.モチベーションの維持

 上記以外にも、業務命令を受けて参加する場合や、ただ単にどんなもんだろう?と思って参加したり、あるいは学内で募集があって、大学から旅費が出るからということもある。単純に外に出るのが好きな一面も。

 

 研修と言われると、学びに行くというイメージが強いかもしれないが、場合によっては仲間内での馴れ合いであったり、ただ単に交流を深めましょう。みたいなものもある。

 

 自分にとっては、上記1.の理由で研修等に参加したいが、行きたい研修と仕事のスケジュールが合わないことも多い。そんななかで、仕事に対してのモチベーションが下がった時は、2.の理由でなんでも良いからスケジュールが合うものに参加してしまえということで出かけたりする。そんな場合は馴れ合いや交流を深めましょうみたいなのに当たることも多い。

 ただ、そこから学べることも0ではない。また、モチベーションの維持には役立っている。

 

 色々な批判がある上記のような研修についても、何か学べるものはあると思うし、そうしたことをきっかけに学び始める人もいるのではないのかなと思う次第。

 

 もちろん、もっと良い研修に参加すれば学べることももっと!というのもごもっともだが。