日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

人事の主語は組織か社員(職員)か

 以下の記事を拝読した。

diamond.jp

 タイトルでは経営陣も「研修」を受け続けるとなっているが、それよりも目を引いたのは以下である(抜粋)。

 経営トップの仕事の3割は人材育成

 企業を成長させるのもダメにするのも人材であり、それが経営の最大の課題であるならば、最大の課題に取り組むのがトップの役割だ」

 「人材育成もリーダーシップも、「主語」が他の企業とは違うのである。よく、「人事権は会社にある。したがってキャリア形成について本人の意向は聞くが、最後は会社が決めて通知する」という話を聞く。

 しかし私たちは、「それは違うだろう。キャリアは一人ひとりの社員のものであり、職業人としての成長を考えて作っていくもの。会社はニーズを明示しながらも、個人のキャリア形成をサポートしていく存在。そうでなければ、自発的な努力も起こらないし、変化力も強化されず、企業の力も弱くなってしまう」と考える。

 つまり、主語はあくまでも「社員」。人材育成やキャリア形成は、社員が会社と、いわばアライアンスを組んで、対話をしながら実現することとなる。ゴールを共有して、個人も企業も強くなり、持続的に社会に貢献できるのだ。そこからすべてが導き出されている。すると企業も、人事権などというものを振りかざす必要もなくなってくるのだ。

  「人を育てる」や「人をつくる」のようなメッセージを発している大学業界において、学生を育てるという意識はあるものの、職員を育てる、職員が主語になっている大学は果たしてどれだけあるのだろうか。

 様々な社会の問題に対し、教育関係者は苦言を呈したり進言したりする。

 ブラック企業、人材ではなく人財、社員の満足度、やりがい搾取など。しかし自らが所属する組織がそのような旧態依然の組織になっていることもある。自大学がそうとは言わないが、大学、教育業界は非常に保守的である。そして、上記にあるのと同様に、本人のキャリアパスより大学の事情を優先する。

 それはそれで、人事上致し方ないのかもしれない。しかし一方で、教育業界はそういった先進的な取り組みであったり、自らを変えることに積極的な機関であってほしいと思うのだ。

 特に人事異動においては正直問題は多いと感じる。職員間でも「なぜ君がそんな部署に・・・」のようなことをよく聞く。このあたりはジェネラリストなのかスペシャリストなのかという議論もあるが、本人の希望は一定程度配慮するとか、一部職員のドラフト制度(この職員がほしい(2年以上同じ部署に所属している職員に限る)という要望を各部署1人、年に一回は出せる ※ 氏名重複時はクジ)とか、職員あるいは教員からの推薦制度なんかはあってもいいんではないかなと思う(最初以外は組織の理論だが)。

 

 保守的なのが一概に悪いとは言わないが、社会にものをいえる大学だからこそ、積極的な変化を求めたい。人事の主語が職員になることを願う。