現場の職員には教員の想いを組むという役割もある。
先日の後輩との食事(普通は飲みなのだが、私が下戸なので食事と書く)で気づいたことがもう一点あった。
私たち職員、とかく現場の職員は学生の声を代弁することが重要だ。しかし、それに加えて、教員の声も代弁することも大事である。
補助金に対する指摘事項、あるいは指摘されていないが指摘が考慮される事項について、とかく事務職員というのは保守的になる。他大学でこういった指摘があった。あるいはこういった指摘が予想される。だからこそ、そういったものについては指摘がないように始めから申請から除外する。突かれないように、できるだけ危ないものは外すなどなど。
こうした流れは所属する組織では一般的で、指摘をされないように、安全にという意識がある。これ自体は事務職員としては問題はない。しかし、そうした流れの中で教員の想いを踏みにじってしまうことがある。
教員は教員で教育に対して、また自分の持っている科目、研究分野、各種課程に関わっている教員は課程にもプライドを持っている。そうした中で、危ないから補助金の対象からは外すという選択肢を事務職員がした場合、それは現場の教員のプライドを傷つけるものだと思う。教員側から見れば、自分の科目が公には認められていないように感じるであろう。
補助金の額や教育課程に影響がないから問題はない。というようなことを管理部門の職員は言いがちだ。「表面上はこれで」のように。
そうなると、抽象的な言い方だが、そこが"既定の枠"となってしまい、幅が狭くなってしまう気がする。一度できた枠を広げるのは難しく、次の枠はそれより狭まってしまう。 ↓のようなイメージ。
管理部門の主張も理解できるが、過度に保守的にならないように、教員の想いもできるだけ踏みにじることがないように、現場の職員には教員の想い、声を上げる役割もあるのだと思った。そうした中で落としどころを探る役割が求められるだろう。