スーパー日本人・・・
もうすでにあちこちのブログやら何やらで書かれまくっているが、以下のスーパー日本人について思うところを書きたい。
日本のトップレベルである阪大(世界大学ランキング日本国内順位5位)で、こういう表現はやめてほしい。恥をさらすのもたいがいにせい!と言いたい。
以下の大学職員ブログでも紹介されているが、事業者側に寄せていったということもあるだろう。スーパーグローバル、スーパーサイエンスハイスクール・・・文科省関係はスーパーが好きなようだ。
「スーパー日本人」大阪大の産学連携プログラムにツッコミ殺到 について考える | 大学を考える
こうした言葉の乱れについて以下でも触れたことがある。
教育機関だからこそ、言葉の乱れや定義には注意を払うべきであるし、言葉の重要性を重く受け止めるべきである。今の子どもたちがこれを見て、これが正常だと思われると怖い。
COIだのなんだの略語もできる限り使わないこと。ほとんどが定着しなかったり、期間限定で終わるのだから、一目で見てわかることにすることが大切である。文章や施策というものは残っていくものであり、引き継ぐことも考慮すべきであって、作る人はその責務も負っていると私は考える。
日本人は欧米への劣等感からか、横文字にすればなんでも"クール"だとでも思っているのだろうか。もう少し自国の文化、言葉に誇りを持ってほしい。なんていうとどこかの総理を想定してしまうが・・・(苦笑)
日本の高等教育史を見ると、最初は英語やドイツ語等で教育が行われた。そこから、なんとか自国語で教えられる人を育てようと、現在の教育が成り立ってきたという背景がある。国際化が進んだ現代、英語は不可欠であるが、自国語で教えられる、教われることをなんとか強みにはできないかと思う。
例えば、香りや味の表現なんかは、日本語の語彙(表現)の多彩さがその繊細さを表現するということを聞いたことがある。そうしたことを強みにできないかと思うのだが学問では難しいかな。