違うことを否定することは社会を縮小させることでしかないのではないか。
日本って、なんでこう違うことを否定するのだろうか。
生活保護が最低賃金より高ければ、もらい過ぎだと言い、より生活保護費を下げようとする。給料をたくさんもらう人がいれば、あれだけもらってるんだからというやっかみをする。
こうした世の中では、どんどん社会が縮小してしまうんではなかろうかと思う。
私は大学職員として、一般の方と比べて恥ずかしくないだけの給料をいただいている。だからこそ言えるのだと言われたら仕方ないが、社会全体が裕福になるには、そうした視点から抜け出す必要があるんではないかと思う。
私自身、まずは身近な学生に還元できるように、いただいた給与分(以上)の仕事、いただいた給与を使っての学びも忘れてはならないと思っているが(それが出来ているかは別として・・・)。
カルロス・ゴーン氏が多大な利益を上げるのであれば、その分の給与をもらっていいはずだし、年金機構の運用が毎年上手くいくのであれば、その運用担当者にたくさんの給与を払ってもいい。他の人にないもの、他の人が生み出せない利益を出すのであれば、そこに費用は惜しむ必要はない。それ以上のプレッシャーもあるし、投資と考えれば良い。
生活保護は、不正受給等の問題はひとまず置いておいて、生活保護とは健康で文化的な最低限度であるわけであるから、働いている人はそれ以上の給与をもらうべきである。そうした仕組みの方により思考を働かせるべきではないだろうか。
あくまでも私論です。