日々綴(とある私立大学職員)

日々思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も日々の思いをつらつらと(とある私立大学職員)

大学職員の転職

 大学職員の転職、具体的には大学間の転職について考えることがあった。

 一時期実際に考えていたのだが、少々事情があり断念した経緯がある。今回再度考えたのは、ある会合の際に冗談で「○○さん(私の名前)を引き抜いてもいいか」という言葉をかけられたからである(「引き抜きたい」だったかもしれないが)。

 

 

 ごくごく稀にこういう思いがけない高い評価をいただくことがある。私の場合、実績なんかが無いわけで、人間性や立ち居振る舞い、努力する姿勢を褒めていただくことが多い。本当にありがたく、また今回は尊敬している方からの言葉だったので非常に嬉しかった。その評価に対し、実際の自分の実力、実績が足りないことに悔しさを覚えたが。

 

 大学職員としてのキャリアを考えた際、私自身、自分のやりたいことが全くできていない状況があって、本当に引き抜きがあったとしたら、恐らく転職を考えるだろうと思う。こういうことを言うと、現在の勤務先に帰属意識は無いのかとか言われるだろう。しかし、自分にやりたいことがあって、それができていない状況であったり、職場に恵まれていない状況(例えばパワハラや職員を育てる風土がない等)があったりする場合、果たしてそこにとどまるべきなのかと思うのだ。

 あと数年の我慢、なんてことも言われたりする。それはそれで正しいことなのかもしれない。けれども、その数年でできることを考えると悔しさを覚えることは事実だ。

 

 実際の大学職員の大学間の転職についてだが、専門職のような立場の人以外では、引き抜きというのはあまり見られないことだと思う。例えば、IRのような新しい分野等で実績を残している人や、ある大学で長年勤め退職された方の再雇用等以外ではあまりないのではないだろうか。大学職員の専門性が叫ばれるものの、職員は定期的な異動を伴うこともあって、外部から引き抜く程の専門性、あるいは緊急性や必要度とも言うべきか、そういうものはあまり無い気がする。保守的な部分や、引き抜かれる側と引き抜く側の大学間の関係性なんかもあるだろう。また、引き抜くよりは自分のところで育てるという意識もあるのだろうと思う。

 

 そういう意味では、私が掛けていただいた言葉は、社交辞令というものだと理解できる。自分の能力を過大評価しないよう、心がけたい。また、そのような評価をいただいたとしても、実際に一緒に働かないとわからないところもあるわけで、そんなに甘くはないということも心にとめておく必要がある。

 

 

 たまたま今日、「ちょっと今から会社をやめてくる」という映画を見に行った。ブラック企業の描写が酷く、こういう会社もきっとまだ日本にあるのだろうなと思った。

 日本の風土として、我慢を強いる部分が少なからずと感じるが、果たしてその我慢は本当に必要なことかどうかというのは考えるべきだと思う。最悪、仕事辞めたって何とかかんとか食べていこうと思えば食べていける。死ぬことよりは会社を辞めることの方が簡単で、生きていることの方がよっぽど大事だ。

 

 大学職員という職は、給与や身分が安定して人気の職だと言われている。しかし、そういうものに縛られて、そこから動けなくなってはいないかなということを考えさせられた。私の場合は教育に関われることをありがたく思っているし、常に最先端を求める教員の姿勢や学ぼうとする学生の姿に刺激を受けたりもする。しかし、そういったやりがいなんかを見つけられない場合、果たしてその場に身を置くべきなのだろうか。もちろん、仕事が食べていくための手段の一つであるという考え方もあろうし、他の人に仕事にやりがいを持てとは言えない。ただ、私はやりがいを持って仕事をしたい。