日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

SDについて

 SDとはスタッフディベロップメントのことであり、FD(ファカルティディベロップメント)に対応して使われる。FDが教員を対象とするのに対し、SDは職員を対象とするものであり、どちらも能力開発の意味で使われる。教員の場合は特に教育能力の開発として。

 

 海外の大学では、教員だろうが職員だろうがSDとされ、特に区別はされていない。一般企業にとってみれば、人材育成であり、なんでFDとかSDとか分けてるの?と思われるかもしれないが、その辺りは教員と職員の特殊性から考えていただけるとわかるかもしれない。

 

 さて、このSDについて、最近思うところがある。SDは大学職員論の中で語られ、近年義務化もされた。私のイメージとしては下記のようなもので、大学職員論の中にSDがあるイメージである。SDは"大学の職員"を対象としている。

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 一方で、大学の現状からすると、学校法人においては、大学病院を持っているところ、附属高校、中学、小学、果ては幼稚園まで持っている法人もある。一般に我々は大学職員とは言われるものの、この法人内で様々な人事異動があり、大学以外で勤務する職員も多い。これは、将来的な執行部あるいは経営人材の育成を考えた場合、法人全体を広く知る必要があることから多くの法人がこうした措置を取っているのだと考えられる。余談であるが、個人的には将来の執行部人材は法人内での異動、それ以外はある程度固定化するなど、いくつかのキャリアパスがあるといいなと思っている。

 

 こうした事情から、SD(大学の職員を対象とした能力開発)より大学職員あるいは法人職員としての能力開発を考える必要があるのではないかと思う。各法人、それぞれの文化や歴史があるため、求められる能力や職員増は違う。そのため、それぞれで人材像をつくる必要があり、各大学の行動憲章や求める職員像がこれらにあたるのであろう(自分で言っといてなんだが、行動憲章は行動理念であり、求める職員像は採用時の職員像であり、違う気もする)。

 

 SDだ、SDをやれ!と文科省等の大学関連の文言でよく出てくるが、このあたり少し大学側の事情と乖離がある気がする。

 

 海外事情にはあまり詳しくないが、アメリカやヨーロッパなどの大学で附属高校なんてものはあまり聞いたことがない。このあたりに日本の特殊性があり、日本独自でこうした大学職員像(あるいは法人職員像)を定める必要があるのではないかと思うのだ。

 

 上記の記事を数日前に書いた後に下記のブログを拝見した(私は毎日書いているわけではなく、ほとんどは予約投稿でアップしているので)。

as-daigaku23.hateblo.jp

 見事にパクッテるな(私が!)と思う次第であるm(_ _)m