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日々綴(とある私立大学職員)

日々思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も日々の思いをつらつらと(とある私立大学職員)

財務省広報誌「ファイナンス」2016年1月号を拝読して

文献

 財務省広報誌「ファイナンス」の以下の記事を拝読した。

 東京大学名誉教授 天野 郁夫先生と金融庁参事官 神田 眞人氏の対談。

 http://www.mof.go.jp/public_relations/finance/201601f.pdf

 

 以下気になったことをまとめてみた。矢印以後が私なりの理解、疑問点等である。

 自分のメモようなので、見にくい点はご了承ください。

 

 日本の大学院の研究者志向。大学院で学ぶのは研究者になるためであって、大学教員になるためではないという風に思っているのではないか(教える教員側が)。それが研究重視の大学教員をつくりだしている。

 → 研究者になるという視点と同時に、教育の仕方も大学院では教えるべき。

 

 法科大学院文科省の責任ではなく、当時の政権与党の責任である。

 →つまりは、こうした政党を選んだ国民の責任である。

 →個人的には法科大学院は申請した大学側の責任もあると思っていて、文科省のこうした施策に踊らされることはこれまでもあっただろうし、司法試験に合格させられるような教育がこれまでできていなかったのに、それができるつもりでいたのかという反省もすべきだと思っている。社会的な要請もあったであろうが、全部が全部人のせいというわけではない。

 

 大学改革による学長権限の強化について、学長権限が強いのはアメリカである。他の国ではそうではなく、アメリカだけが例外だ。これはアメリカが教育機関であるカレッジから出発しており、学長は校長として学生を徹底的に教育・訓練する責任を負い、教員達も自治など認められず、まさに教師として雇われていたからである。

 

 財務担当理事については、専門性が要求されるものの専門性を育てる仕組みがない。

 →これは職員が担当できる分野なのではないか。あるいは、外部から有識者を採用するなどして、資産を増やすという視点が必要だろう。

 

 同じ分野だけでなく、国立公立私立が連携するのも大事。

 →これは仰るとおりで、インターネットの出願なんか国公私立関係なく、一括でできるようなサイトがあればいいと前々から思っている。サイトに氏名、住所、生年月日、出身校等を登録し、そこから出願大学、学部学科、私大では選択科目を一括で出願できるようにする。そうすることで、受験生にとっては各大学ごとに申請する手間が省けるし、大学にとってはサーバー等の費用負担が減る。負担の分担は志願者数あるいは定員数等で案分すればよい(あくまで私案です)。こうしたサイトがあれば、ここを多言語化しさえすれば、海外の受験生にもわかりやすく、海外からの留学生確保にも繋がるのではないかと思っている。更に許してもらえるのであれば、どこと併願しているかや合格結果と結びつけて、どっちを選択しているのかといったデータが取れるといいなと思う。こうした方面に文科省はイニシアティブをとってほしい(本来は大学ポートレートがこの役目?)。既に四国の国立大学では共同でやっているようであるが。(自大学でもまずは同地区と共同でやってみてはと提案したが果たして)

 

 専門学校を高等教育とするかどうか。高等教育に入れれば高等教育への進学率は非常に高くなる。

 →海外のアメリカのコミュニティ・カレッジ等との違いは?

 →専門学校は高等教育として認知されておらず、補助金もあまり入っていない(文科省のHPでは施設整備費への補助はしているようだ)。そのため、個人負担は大きい。専門学校が大学へという話も出てきているが、大学と役割が違うとはいえ、ここにも教育投資をすべきではないか。高等教育関係者からすると、高等教育予算が削られることを考えれば、少々言いづらいが。

 

 学位の統一について、現在は学位名称を大学が勝手に出せるため、何を学んできたかがわからない。整理統合すべきだろう。

 

 日本は、大学教員を自前で育てることができている。だから外国人教員比率が低い。シンガポールや中国は海外の大学を出た教員であったり、海外の教員を採用せざるを得ない。それは自前で教員を育てることができないからだ。

 →その結果外国人教員比率等の点で、大学ランキングにおいて比較劣位があるのだろう。

 →確かに日本では、如何に早く自国で教員養成をし、自国語で教えることができるかに重点を置いて高等教育を行ってきた歴史的経緯がある(天野先生の大学の誕生より)。こうした点には誇りを持ってよいのではと思う一方で、それを閉鎖的な業界(?)の維持として捉えてはならない。

 

 ランキングは反省材料として見るべき。