日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

キャリア教育セミナー@九州大学(3/11)に参加

 標記のセミナーに参加してきた。九州大学は福岡だけれども、福岡の中心部からも遠く、福岡県外に住む人に取ったはアクセスがかなり悪い。。しかも今回は参加費がかかるというなかで、自分があまり知識のないキャリア教育という分野だったため、興味があって参加してきた。

 

 内容に詳細に触れてしまうとどうかと思うので、印象に残った言葉をいくつか紹介するだけに留めたい。

 

 アクティブラーニングという手法ではなく、講義等でもアクティブに聞くという姿勢が大切(自分の状況に置き換えて聞くなど)。

 人は幼児期であっても、他者が示すものから自分の行動を決める。人は他者を通して自らを認識する。

 ↑は他者が変われば自らも変わるということであり、周りの環境、付き合う友人関係等が如何に重要かを再認識した。

 

 上記以外にも学べることがたくさんあった。新しくやってみたいと思えることもできたので、後はどう行動に移せるか。なかなか自大学では難しいものの、面白い取り組みだと思うのでどこかで実現させたい。

東日本大震災から7年

 今週末で東日本大震災から7年。被災した大学職員の方に話を伺う機会があった。たまたまあるイベントでご一緒して、期せずして二人での飲みになった際に伺った話。途中、書いたことがある内容もあると思うが、ご容赦ください。

 

 当時の被災の状況、数日間寝ないで学生の安否確認や避難所としての対応を行ったという話を聞いた。実際、私も当時は大学のある部屋で地震が起きた後の中継を見ていた。そういうこともあって、その話を聞いた際は不意に泣きそうになってしまった。

 

 話を伺った中で、当時の大変だった状況はもちろんだが、そろそろ復興という言葉からは離れないといけないという言葉が印象的だった。大学としては、前を向いてその時に得た知見を引き継いでいかなければならない。

 地震大国である日本は、東日本大震災の後にも熊本でも地震が起こり、また次の地震も予測されている。被災された方に寄り添うことはもちろんだが、次起きたときにどうするか、起きる前にできることはないかということを考える必要があるだろう。それが果たしてできているだろうか。

 

 大学としては研究活動の一環として地震やその被害予測、減災、避難方法、被災後の影響等々があるだろうと思う。また、大学自体が公共性が高いこともあるので、避難所としての役割も期待される。そうしたなかで、大学職員には大学職員としての行動だけではない、より広範な行動が求められる。

 

 職員も被災者であるなかで、寝る間も惜しみ学生の安否確認、避難してきた方々のケア、自治体との調整等々が求められる。その大学に詳しい職員だからこそできることもあるだろうが、単にマンパワーでできることもある。

 マンパワーでできることは被災地以外の人が手伝えないだろうか。

 地方自治体が他の自治体から職員を相互に派遣し合っているように、大学、特に私大についても同じようなことができないだろうかと常々思っている。

 

 二次被害も予想されることもあり、派遣大学が慎重になることはわかる。だけれども、どこが次の被災地になるかわからない状況の中で、相互に助け合うことはできないだろうかと思うのだ。

 そこで働いている職員の方が少しでも休める時間、家族を気にする時間、家に帰れる時間。そんなわずかな時間でも作れるように、私大でも災害時の職員の相互派遣が進めばと思っている。

 

 例えば、日本私立大学連盟(私大連)、日本私立大学協会(私大協)の加盟大学間でそういった協定を結ぶこと、あるいはJUAMのような組織でもそういった協定を結ぶことはできないだろうか。

 

 多分、まだまだできることはきっとある。

言葉にすること

 自分は”言葉にすること”が得意ではない。

 ”なんとなく”や”ニュアンス”で伝えてしまうことがたくさんある。

 恐らく語彙力の問題だろうと思う。

 

 昔からあまり本を読む家庭ではなかった。また、家では毎日テレビがついていて、流れているのはバラエティでニュースはほとんど見ていなかった。家計も裕福な方ではなく、親戚関係もほぼ高卒。大学に行くなんてってことも言われていた。ただ、小学校高学年ぐらいからか、突如として成績が上がったこともあり、そこから大学には絶対に行くと決めていた。

 

 そんな環境から、少しずつ親を懐柔(?)し、テレビがついているとしてもニュースになり、徐々に本を読むようになった。ただ、元から本を読んでいる人にはかなわないなと思う瞬間がある。それが語彙力。自分の中にある言葉はこれからも増えていくけれども、ずっと使ってきた言葉というのは抜けきれないものがあるし、使ってきていない言葉はなかなか使えない。使っている言葉だからこそ腑に落ちるものがあって、自分としても理解しやすいんだと思う。

 

 こういう習慣等の身についたものを思うと、育つ環境って大事なんだなとたまに思う。

 

 学ぶことはいつからでもできる。学びを継続すること、習慣化すること、それこそが大きなものだと信じている。ただ一方で、苦手なことはなかなか得意にならない。

 

 言葉にすることは得意じゃない。けれど、だからと言ってそこに甘んじていてはいけない。それも学びだと思って、もう少し表現力を磨きたいなと思う。

 

 今、さまざまなことで意見交換をさせていただいている方々がいて、たくさんの刺激を受けている。それとともに、自分の力の無さも感じる。そこで留まるのか、そこから進むのか。自分次第。もう一歩、踏み出そう。

大学等設置に係る寄附行為(変更)認可後の財政状況及び 施設等整備状況調査結果について(平成29年度)

 大学等設置に係る寄附行為(変更)認可後の財政状況及び施設等整備状況調査結果について(平成29年度)が公表された。

 

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/30/02/__icsFiles/afieldfile/2018/02/23/1401633_001.pdf

 

 幾つか気になる記載があったため、触れてみたい。大学名は上記に記載されてはいるが、流石にここに記載するのは憚れるため、気になる方は上記を参照願いたい。

 

 1.研究費への言及

事業活動支出に対する教育研究経費の割合が同系統の大学等を設置する学校法人に比べ低く、また、近年この割合が低下傾向にあることから、教育研究条件の充実向上を図ること。

 2.経営状況

負債率が高いことから、負債について計画どおり償還し、負債額の減少を図ること。

 3.授業料に対する経費割合への言及

学生生徒等納付金に対する経常的経費支出の割合が同系統の大学等を設置する学校法人に比べて低いことから、同納付金の学生への還元を図ること。

 4.情報の公表について

学校法人の公共性に鑑み、財務情報の一般公開(ホームページへの掲載)について積極的に対応すること。 

 

 1.研究費への言及について

 研究者である教員をある種勇気づけるものであると思う。近年、教員への研究費は厳しい状況であるとの報道や大学教員自身からの公表で表に出てきている。これら研究費について、是正意見として公式に見解が出されるのは評価されるべきことだと思う。

 

 2.経営状況について

 私自身、財務に疎いので、比較すべき大学の経営状況等はなかなかわからない。財務情報については公表されているものの、一つ一つを追っていくのは大変であるため、こうした指摘で状況がわかるのはありがたい。

 

 3.授業料に対する経費割合への言及について

 学生が納める授業料に対して、経費割合が低いという指摘である。授業料がきちんと学生に還元されているかどうかという点をこうした調査で言及しているのは評価されるべきだと思うし、さまざまなところで公表されるべきことだと思う。

 

 4.情報の公表について

 大学の財務情報については、私立学校法で作成と備付義務が規定されている。ただし、公表についての言及はない。一方で、大学は国からの補助金が導入されていることから公共財としての側面も持つ。そうした意味で広い情報公開が求められており、一般公開への言及がされているものだと思う。教育情報についても積極的な公開が求められており、それに関連したものであろうと推測される。

 私立学校法

(財産目録等の備付け及び閲覧)
第四七条 学校法人は、毎会計年度終了後二月以内に財産目録、貸借対照表、収支計算書及び事業報告書を作成しなければならない。
【則】第四条の四
《改正》平16法042
2 学校法人は、前項の書類及び第三十七条第三項第三号の監査報告書(第六十六条第四号において「財産目録等」という。)を各事務所に備えて置き、当該学校法人の設置する私立学校に在学する者その他の利害関係人から請求があつた場合には、正当な理由がある場合を除いて、これを閲覧に供しなければならない。

 

 久しく大学関連で書いていなかったが、なかなかおもしろい記載があったので触れてみた。まだまだ知らないことが多いなと思う次第。

 もっと学ばねば。

原因と結果の経済学(NHKの番組オイコノミアより)

 NHKで放送されているオイコノミアをたまに見る。

 今回見たのは「原因と結果の経済学」

 とても面白かったので紹介したい。

 

 因果推論(因果関係があるかどうか)、見せかけの相関(相関が無いにもかかわらず、相関があるように見えること 例 体力があれば勉強もできる)など、経済用語が満載だった。

 

 因果関係があるかどうかのチェックポイントは

 ①まったくの偶然

 ②第3の要因

 ③逆の因果関係

 ということ。3つのチェックから、因果関係があるかどうかを疑うこと。


 また、人が因果関係があるとつい思ってしまうのは

 ・ヒューリスティックバイアス

 (自分の経験や体験で見誤る。自分の周りの情報だけで判断)

 ・チェリー・ピッキング
 (情報の中から、つい自分に都合の良いものを選ぶ)

 があるからだという。

 具体的には、受動喫煙の法律、育休の延長が例として挙げられ、政策においては、科学的根拠に基づいて、政策判断しなければならないということだった。反事実(それをしなかった場合)を想像し、原因は本当にそれなのか、検証する必要がある。

 

 チェリー・ピッキングは、非常によくわかる。自分にとって都合の良い情報をついつい持ってきてしまうというのはあるものだ。自分の正しさを証明するため、自分の論理を補填するため。そこに終始するのではなく、本当に正しいかどうか、冷静に判断する必要があるなと思った。

 

 以前IRについてブログで触れた機会があるが、大学がとる政策や方針についても、こうした因果関係があるかどうかは議論する必要がある。主観や思い込み、そういった自分のバイアスや通説から判断してしまうことはあるものだ。大学だからこそ、こうした科学的な検証を使って政策判断をしてほしいなと思う。

人はミスをする

 人間だからミスを全くしないなんてことはありえない。だけれども、それをいかにゼロに近づけるかという意識を持つことは大事だと思う。

 また、自分が間違っているかもしれないと思うことは大事だ。「絶対に間違わない」なんてことはない。

 

 自分は間違いを犯す。そう思っているだけで仕事のミスは減る。

 ミスを減らすことばかりに目がいってはもったいないけれども、大学の職員(事務)はミスをしないことが当然だとされる。しないことが当たり前なのだ。

 

 Twitterでも呟いたが、自分に絶対の自信を持つ人がいた。説明を聞くとどう考えても常識的におかしいと思うのだが、それを指摘したところで間違っていないと主張するので埒があかない。なぜそこまでの自信をもてるのか、ある意味すごいなと思った。加えて常識って人によって違うものだから、常識って難しいなとも思った。

 

 最終的には根拠を示し、誤っていることを理解してもらった。だけれども、誰からであれ指摘をされた場合、間違っているかもしれないと思わないのかな?との疑問も思った。正直、一緒に仕事をするのは怖い。

 

 完璧な人はいない。人間だからこそミスをする。だからこそ、自分が間違っているかもしれないという意識を持つことは大事なのではないだろうか。そういう人とこそ一緒に働きたいなと思う。

JUAMへの提言

 別の考え事でアイディアが浮かびそうだなと考えていたら、JUAMへの提言へ思考が移った。

 

 以前JUAMで会員数の伸び悩み等があるとの話を聞いて。

 会員数を増やしたいのであれば、例えば次のような手を打ってはどうか。

 1.新規会員の初年度の会費を10,000円→5,000円に割引く。

 2.他の学会(大学教育学会等)と連携し、他の学会員と兼任会員であれば1と同様に費用を割引く。

 特に2をすることで、一度離れた会員も戻ってくることが期待される(多分)し、より研究熱心な会員が増えることで研究活動の活性化も期待されるのではないか。

 

 上記に加えて、大学行政管理学会の会長等を本務の無い退職した方にしてはどうかとも思っている。というのは、行政管理学会の正会員は、すべて本務を持った大学・短期大学の教職員である(実際は職員がメイン)。職員は、組織の方針から外れたことはしづらい。

 このような大学行政管理学会の大学職員がメインの実務者団体は、実務者の立場から文科省等へさまざまな提言があっていいと思う。それが本務をもった大学職員だとしづらいのではないか。(私のような下っ端が知らないだけで実際にはしているのかもしれないが)

 

 なんてことを思った次第。