日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

一定量のインプットは必要

 最近とあることがきっかけで論文やら文献やらを読んでいる。

 そうしたインプットをしていると自然とアイデアが出てくる。

 アイデアは複数のものの組み合わせであったり、既存のものの適用の仕方を変えたりしたものだったりなので、インプットしていると湧いてくるものだなと改めて実感している。どちらかというとクリエイティブな方らしいので、そうなのだろう。

 

 知識詰め込み型が批判されることがあるが一定量のインプットは必ず必要で、やはりバランスなんだろうなと身をもって実感した次第。

 

 自分の欠点として、自分にできることはすべての人ができるものと思ってしまうところがある。先日自分を卑下していた某実名ブロガーではないが、自分にできないことがあるように、自分にしかできないことがあると思うようにしたい。

婚活

 ある有名ツイッタラーが婚活するかもしれないとの話題から。

 

 聞くところによると大学職員は安定、高給取りのイメージで職場での紹介や斡旋?も多いようだ。自分は友人の紹介くらいは受けたことがあるものの、上司等の紹介は受けたことはない。

 

 年齢のこともあってそういう話題もちらほら言われる。某有名ブロガーとも話をしたことがあるが、この時代、男性の方が仕事を辞めるという選択肢もあっていい。固定観念に縛られるのではなく、家族にとって何に優先順位を置くか。その観点で選択をしたいと思う。

 

 自分が辞めることになったとして、家事、特に料理には自信がないものの、やればなんとかなるかなと。

 予定は全くありませんが…

人からの評価

 同じような記事を書いた記憶があるが、つい最近、同じような言葉を違う人二人からかけられたこともあり、書くことにした。私にその言葉をかけたお二人がこの記事を読むと、私が誰だかわかるかもしれないが、気付いたとしてもきっと黙ってくれるだろうとの期待を込めて。

 

 誰から評価をされたいのか?それをよく考えなさい。

 

 私は誰かに評価されたいと思って行動した覚えはないのだが、私の言動が評価されないことに対する不満に近いものであったことからそう思われたのだろう。確かに評価されないことは辛い。でも、誰かに評価されたいから行動するというのは、とてもつまらないことだと私は思っている。

 

 自分が問題だと感じていること、やりたいこと、楽しいこと、そういった夢中になるというか、衝動的なもの、自分を突き動かすものがあることを私はやりたい。人の評価ではなく、自分の評価?を軸に。

 

 美辞麗句を並べて賞賛されたところで、それが自分が納得できないこと、楽しくないことであれば、それはとてもつまらなく、むなしいものではないかと思う。

 

 もちろん人に評価されることは嬉しいしありがたい。特に尊敬する人や近しい人からの評価は。でも、それを軸にしてはいけない。軸は自分に。それが評価に繋がればラッキーくらいで。でないと自分を見失ってしまうと私は思っている。

 

 Twitterにも書いたが、ある人からは

 「自分が評価されたいと思えないような人の評価は気にするな」

 と言葉をかけられた。それは本当にそのとおりで、すごく気持ちが楽になった言葉だった。そういう言葉をかけてくれる人が周りにいてくれることがありがたい。

 

 また、評価は人がするものだし、全員が全員100%評価するなんてことはありえないのだから。

 

 一方で、自分だけで考えていると、視野が狭くなり見えなくなることがある。自分軸にしつつも、人とも議論し、より深く考えられたらいいなと思う。

大学職員ブロガー、ツイッタラー

 Twitterをご覧の皆さまはご存知かと思いますが、ただいま絶賛風邪ひき中です。土曜あたりから調子が悪く、喉と鼻から来ている模様。気温が急に下がったりしたからかなと思いますが、皆さんもお気を付けください。

 

 さて、標記の件もTwitterで呟きましたが、記録も兼ねてブログにも記載します。

 

 大学職員でブログやTwitterをしている方というのは、考えが深い方であったり、すごく優秀な方が多いので、研修や講演を依頼したいというつぶやきがとある方からあった。

 こういった界隈で優秀な方、優秀に思える方というのは、既にどこかで発表をしていたり講師をしていたりする。目立つ人はどこでも目立つし、優秀な方というのは大体どこでも優秀なのだ。

 

 Twitterやブログは匿名で書いてあることも多いが、上記のようにすでに名前が売れている方も多いことから、別のルートで知り合ったとすれば、研修等の依頼も全く問題ないのではないかというのが持論である。依頼者には名前を明かすことになるだろうが、その方にとっても業績、経験が積めて良い機会になるのではないか。

 

 大体講師依頼をするような人は、あの人かなと想像がつく。

 

 残念ながら、私には来ることはないので、さらに研鑽を積まねばと思う次第。

 一緒に何かしようというお誘いは大歓迎です。

切り替え

 少々色々あって落ち込んでおりました。

 以下大学関連ではないので興味のない方は読み飛ばしてください。

 

 自分にとってきつい言葉を投げかけられた時、相手は平気な場合とそうでない場合があって、相手の表情だったりを見ると、今回は後者だったのかなと。言葉もそうだけれども、その表情や様子が物語るものって強いものがある。だからこそ襲ってきた後悔。

 

 自分が犯した過ちだったり、やってしまった事だったりというのは、もうないことにはできないけれど、これからどうするかが大事だなと切り替えるよう心を整えているところです。

 相手にとって自分はマイナスイメージが焼き付けられたのかな、なんてことを思ったりするものの、あとは自分が自分の中でこれらをどうプラスにできるかかなと。

 

 感情に浸る時間も必要。けれども、切り替えて前に進む。そう言い聞かせる。

第21回大学行政管理学会総会(@西南学院大学)に参加

 少々色々あり落ち込んでいるものの、こういうときこそ何かしないとより落ちる気がするので、ブログを更新することにした。

 

 標記の総会に参加してきた。

 詳細な内容は松宮氏等、TwitterのTogetterにまとめられると思うので、こちらでは触れないが、2日目の分科会2で2-6-2の法則について触れられた。具体的には、6や下位と言われる2をどうするかということ。

 

 法則自体は理解しているものの、人には当てはまらないこともあるのではないかと常々思っている。もちろん組織の中には優秀な層がいれば、そうでない層もいる。それ自体はそうなのだが、組織全体として個々人の個性が発揮しされている組織も見られる(外から見ているからそうだといわれればそうなのかもしれないが・・・)。

 多様性や個々人の能力を発揮するような組織運営をと思っている身としては、管理職の方々には2-6-2が当てはまらないような組織をという意識でいてほしいなと。

 

 もちろん叩いてもだめな人、逆に人の邪魔する人なんかも組織にはいるものの、それらをどうするか。そのやり方を考えたいなと思う。そこに労力を割くくらいなら上位の2割にという意見もあろうが、考え方や組織の在り方で変えられるものもあるのではないかと。

 例えば、募金を絶対にしない人を募金の募集担当にすると、ほぼ必ずと言っていいほど募金をする。募金集めに行った際に、自分がしているか問われたりすることがあるからだ。そして、恐らくではあるが、一度募金募集の苦労を味わった人の多くは募金を継続する。

 上記のように、人の配置、担当業務の体験による職員の意識の変化等で変えられるものもあるのではないかと私は思う。

 もちろん100%は無理だが、0ではない変化を起こすことって大事なんではないかなと。

 

 常識を疑う、常識を覆す面白さなんかを持っていたいなと。

ゼネラリストとスペシャリスト

 今週末からJUAM(大学行政管理学会)の総会が開催される。さまざまな学びが楽しみなのとともに、不安がある。不安についてはここでは触れられないが、なんとか乗り切れれば(?)と思う。

 

 さて、標記の件、さまざまな場でも既に議論されているものであるが、少々思うことがあったので書きたい。

 

 大学職員の間で議論されるゼネラリストとスペシャリスト。一時期大学職員の専門職化の議論があった際は、スペシャリスト化が進むものかと思われたが、いつの間にか立ち消えとなった。これはスペシャリスト化しないまでも、対応できるレベルであるということと、本当に専門職化するのであれば、専門の教員を雇うといった方向であろうと理解している。

 

 大学職員はゼネラリストが良いという議論は、広くその法人を知り、将来の執行部を育てる。あるいは、その法人を広く知ることで、法人全体を意識できるようになること、広い知識の組み合わせから新たな分野をつくりだすことなどが狙いだろうと思われる。

 

 一方で私自身はスペシャリストになりたいと思っていて、最近話題のAIを考えてみると、そういった広い知識は必要であるものの、仕事そのものをとってみると、すぐ代替されてしまうのではないかと思う。また、昨今の激しい(?)教育行政の移り変わりから、知識の陳腐化も早く、異動を繰り返すと前の知識が使えないことも多くなるのではないかという思いもある。

 もちろん根本は変わらないことも多く無駄になるわけではない。

 また、これも個人的な意見というか思いではあるが、職員の仕事は誰にでも一定レベルでできるよう、マニュアル化、システム化、陳腐化すべきだという思いも一方ではある。

 

 私が所属する大学は、ゼネラリスト志向の大学であるが、異動させられる職員からとってみると、全く関連の無い分野への異動も多く、転職のような状況も多く見受けられる。ゼネラリストという考え方自体は悪いとは思わないが、もう少し関連した分野への異動であったり、またその人個人の思考も大事にしてほしいなと思う。

 

 なんともまとまりのない記事だが、書きたい内容はとりあえず書いた。

 もう少し頭整理して書けばよかったかもとも思いつつ。

 

 あー異動したい(笑)