日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

窓口業務の時間

 以前APU(アジア太平洋立命館大学)を訪問したときに、自大学とAPUで窓口の時間が違うことに驚いた。

 

 大体多くの大学は、勤務時間中と窓口が開いている時間が同一だと思うのだが、APUの場合、10-15時(私の記憶では)のみを窓口の対応時間とし、窓口が多くなる4月等に限っては窓口時間を長くとっているとのことであった。

 職員の方曰く、もっと時間が短くてもいいと思うとのこと。窓口が開いている時間が短いからといって対応の質が落ちるわけではないし、緊急の場合は入ってこれるようになっているようである。また、事務作業に集中する時間があって然るべきであるという考え方も持っていて、職員目線でもあるなと。

 

 窓口の時間が長いことをサービスだ、当たり前だと思っている常識が自分の中にあって、そうではないんだと思い直した。勤務時間中窓口を開けていたら、すぐ帰れるわけない。つまり、必ずどの大学でも必然的に少々の残業は生じてるんでは?なんてことも思った次第。こういうところ、各大学変えていっていいと思うんだが。

 

 大学の場合、育休産休等はともかく、それ以外の面では労働者である職員目線っていうのは結構欠けている気がする。少なくとも本学では。まあ権利ばかりを主張する職員もいるので、難しいところですが。

「大学」という場は不思議である

 大学職員として働いていて常々思うのだが、大学という職場は本当に不思議である。

 

 最先端のことを研究しているのにも関わらず、それが経営であったり運営であったりには全く活かされていない。あくまでも私見であるが、なかなか変わらないし、人の意見を尊重しようとする教員に限って人の意見を聞かなかったりするし、様々な無駄は多いし、個人の希望よりも組織の理由で人事なんてものは決まる(一部愚痴です)。

 

 例えば企業研究(経営等)や人材研究においても、大学の教員が研究していることが多い。にもかかわらず、それを大学で実践していることはほぼない。私はこのことを常々不思議に思っている。なんで自分のところでまずやらないの?と。

 

 もちろん大学という場が特殊な環境で一般とは違うということもあるのだろうが、一般企業も抱えている問題は大学も大体抱えてたりする。そうであるならば、大学が実践の場であってもいいのではないかと思うのだ。

 

 最先端のことを研究しているからこそ、大学こそ実践の場であるべきでは?なんて思うのだ。

全ての自己啓発(本)は正しい

 全ての自己啓発(本)は正しいという前提で私は見ている。ただ、それが自分に合うときと合わない時があるだけだ。

 

 その時々によって必要な言葉は違うわけで、頑張れという言葉も、だらけきっている時と既にギリギリまで張り詰めてしまっている時とでは全く違う。

 

 同様に、人に対して伝える言葉も、自信満々で「自分は間違いなんて犯さない」という人に対しては君は間違わないよねとは恐らく伝えないだろうし、「間違うかもしれない」という人に対しては君は間違わないと逆に伝えたりする。

 少なくとも私は、絶対に自分は間違わないと思っている人はあまり信じられない。自分が間違うことを知っている人、間違う可能性があると思っている人を信じる。

 

 話が逸れてしまったが、何が言いたいのかというと、教え方や指導なんかでよく言われる、なんであの人と自分への教え方が違うのかというようなことはこういうことではないかと思うのだ。自分にとって必要な言葉がその時々によって違うように、人によって必要な言葉は違う。

 もちろん、これを盾にして理不尽な扱いを正当化してはならない。

 

 なんか禅に影響されすぎかな

2016年度JUAM総会@慶應義塾大学に参加

 2016年度JUAM総会@慶應義塾大学に参加した。

 総会の内容等については改めて記載できればしたいと思うが、今回のJUAMで印象に残ったのは次の点。

 

 JUAMの存在意義について、学会という様相を呈していないという提言。論文数等が少ないことであったり、事例が多いこと、実務家と研究者の乖離(?)

 一方で、若手の研鑽の場としての役割としては、引き続き大きいものがある印象。

 

 このあたり今後議論があるところだろう。

 私個人は研究をしていない立場で、今後研究をしたいと思っており、そうした中で経験・研鑽を積めたり、研究している人の話を聞けるということで非常にありがたい場であると思っている。研究者と実務家を繋ぐ場と言えるのかなとも。

 ただ研究をしている人にとっては物足りなくなっているのだろうなと思う。研究している立場ではあまり学ぶことがない気がする・・・。

 今後JUAMがどうなっていくのか気になるところ。

 

 勝手な意見だけども、もっとお金を出してほしいと思う。特に研究研修委員会とかは関東で行われるが、参加費は自腹とか、地方大学の職員は参加が厳しい。多様性という意味では考えてほしい。また、研修等する際には、学会員には出張旅費は出さないということになっているが、講師への旅費くらいは認めていいんじゃないかと。

 ただ変化の兆しはあるようで、前回までの学会員とそれ以外の参加費が同じであることは差がついたし、データベースへのアップロードのメールも飛ぶようになった。今後に期待。

 最後の表彰式は学会への貢献という意味なのだろうが、選考基準等よくわからなかった。

 

 なお、今回の総会の場で職員ブロガーの何人かの方とお会いすることができ、直接お話を聞けたのはよかった。ただ、もっと研究についての話だったり実務的な話だったりを聞けたらよかったなと思う次第。私の準備不足&知識不足。

 

 お目にかかれた方々、ありがとうございました。なお、自大学には絶対にばれたくないので、くれぐれもご内密にお願いできればと存じます。

 

 さて、自大学への報告書を取りまとめますか(-_-;) 

還元

 私用で参加した研修会などのことを職場に還元するかどうかを悩むことがある。

 あくまでも私用であるため、上司等々には報告する必要もないし(休みを調整してもらう場合は別)、還元する必要もないと思っている。

 

 ただ、一緒に仕事をしたことのある仲のいい方々には情報を送ってもいいかなとは思う。そう思いつつも悩むものだ。

 

 自分が学んだつもりであっても、自分の知識不足なだけで、既に知っている場合もあろうし、余計なお世話だったりする場合もある。だからこそ、これまではよく知っている後輩にだけは還元してきた。

 

 ただその一方で、そろそろ自大学にも還元すべきかなと思うのだ。

 ある尊敬する方に、もっと後輩を育てなさい。君の経験や知識を伝えなさいと言われたことがある。そういう年代になってきたのかなと。

 

 試しに実験的に知っている方々に自分が参加した研究会の一部を送ってみた。

 どう受け取られるか、それ次第で今後どうするか決めようと思う。

 

 ただ、まだまだ自分に人に伝えるような知識や経験があるとは思わない。

 伝えるより、まだまだ学ばなければいけない立場だと思っている。

外部の研究会への参加

 久々の更新です。先週スマホでアップしようとしたところ、保存が上手くいかず、エラーが出て全ての入力データが消えてショックでその記事のアップは止めました。また、個人的に少々忙しかったこともアップできなかった理由です。

 

 それはさておき、外部の研究会への参加について、批判的な意見を聞く。

 勉強会ってそんなに学ぶものがないよね。特に大学職員が企画するものは・・・なんて話も聞いたりする。また、外ばかりに行って中のことをしていないなんて批判をされることもある。

 

 私自身、外部の研究会や勉強会には積極的に参加するようにしているが、上記の批判をされたことがある。私自身もそういう批判の隙を与えたのが悪いのだが、業務の量や配分を考え、とりあえず完成を優先させ、8割程度の完成度で出したことがあった。

 このあたりは上の人によるのだが、スピード重視で一定程度の完成度で出してOKな人と、完璧なものしか受け付けない人がいて、その相手に応じた完成度で出す必要があるんだなということを学んだ。そういう相手の見極めが肝心なのだろう。

 

 批判したい人は批判するための隙を探している。その隙すら見せないようにするのは容易ではないが、手を抜いているという批判をされない程度にはやらなければならない。

 

 私は外部の研究会等に参加した際、必ず何かしらの"気付き"を得ている。私自身、以前のブログでも書いたが、知的欲求が高い方で、そういった"気付き"による満足感というか高揚というものに飢えていて?(茂木健一郎先生のいうアハ体験?)、そういうものを求めているのだと思う。

 

 先日もある研究会に参加し、他の大学職員の方と話す機会があった。そこでは研究会での気付きとともに、他の職員の方との雑談の中での気付きもあった。そんな機会を大事にしたいと思う。

 

 自費で参加しているので、なかなかつらいものはあるが。

大学のガバナンス改革について

 学長権限が強くなったと言われるガバナンス改革。この改革に私は否定的だ。

 

 最近学内の先生方と飲みに行く機会が何度かあった。そこで聞いた様々な話や自分のこれまでの理解を総合すると、学長や学部長等、組織の長には大胆な決断力や秀逸なアイディア等よりも、広く学内の声を聞き、合意形成を図ることのできる調整能力が一番大事なのではないかというのが私の意見だ。

 

 もちろん大胆な決断力はあった方がいいが、学長や学部長は任期により交代する。学内の合意形成に時間を割かず、多くの反対意見を押し切って決断をすると、後々にそれが覆され元に戻る。アイディアなんかは色んな職員(教員含む)が持っているわけで、それを汲み取ればいい。

 

 そう考えると、学長や学部長等は飛び抜けて優れた人ではなくてもよく、ただただ普通の(といってはなんだが)能力を持った人でよいのではないかと思う。

 大学が変わらないままでいいとは思わないが、これまで大事にしてきた学内の合意形成というものをもう少し大事にしてもいいのではないかと下記の京都大学の山極総長のTwitterや京大新聞を見て思った。

 

 

 

www.kyoto-up.org