日々綴(とある私立大学職員)

思うことを書いていこうと思います。主として大学関連の話題。ただし、それ以外も(とある私立大学職員)

趣味の一つ

 教育関連にどっぷり浸かっているとまでは言えないものの、それなりにプライベートでも学んでいる。そんな中で、リラックスの一つとなっているのがマンガだ。

 

 全く興味のない人もいるかもしれないが、もし時間がある人は下記のマンガを読むことをおすすめする。

 

ANGEL VOICE 1 (少年チャンピオン・コミックス) | 古谷野 孝雄 | 本 | Amazon.co.jp

 

 サッカーマンガだが、単純なサッカーマンガではない。

 最終まで40巻となかなか長いが、その間に何度泣いたかわからない。

 

 現実では難しいかもしれないが、「頑張っている者は報われるべきだ」とか「必ず誰かが見てくれている」とか「一つのことを一生懸命にする、全力を尽くすことで見えてくるものがある」などなど、気付かされることが多い。

 

 私の場合、発想が変わっていたり、正しいと思うことは言うということを心情としているので、自大学で少々異端児扱いされている部分がある。それでも自分が尊敬する人たち、理解してくれる仲間に、君は間違っていないと言われ、支えられてきた。

 

 体裁を気にすることよりも、自分が正しいと思うことをやり通すこと、正しいと思うことを言い続けること、そういうことをこのマンガで再認識させてもらった気がする。

 

 読んだことがない方にはぜひおすすめしたい。

それがその時のベスト

 かなり前、あの時の決断が正しかったのかどうかと悩んでいた後輩に、その時はそれがベストだと判断したわけで、何度戻ったとしても同じ決断をするはず。だから、気にすることはないという話をした。

 そしたら、過去の話をした際に、見事にそれを返された(笑)

 その子の中に残っていたんだというのと、変な言い方だけども、その子の中に自分がいた(自分を見た)気がして嬉しかった。

 言葉の力というタイトルでかつてブログを書いたが、一部でもそういう残ることを言えたんだなとしみじみと思う。

仕事とプライベート

 仕事とプライベートは別。

 

 先日、普段の仕事の姿を知っていても、プライベートは別だからわからないという話をされた。大して仲の良い人ではなかったりすればなんとも思わなかったのだが、自分が信頼をし、素を見せられている、そんな関係性だと思っていた人からの言葉だったために、少々心を傷めた。

 

 私自身、仕事とプライベートの姿が別であるということに異論はない。しかし、その人の所作や振る舞いにその人の本質が自然と出るように、仕事にもその人本来の姿があるのではないかと思っている。

 同じ仕事をするのでも、人によってやり方(仕事そのもののやり方、他への配慮の仕方、根回し等)は違う。だからこそ、そこにその人の本質もあるのではないかと思う。実際私の場合、プライベートな付き合いももちろんそうだが、それとは別に仕事を通して信頼できる人なのかどうかというのはわかると思っている。仕事とプライベートをきっちりと分ける人もいるが。

 

 私自身、仕事とプライベートを分けられている人間ではない。プライベートが仕事に、仕事がプライベートに影響している。それは、仕事をしだしてからのプロ意識であったり、知識の必要性であったり、学びの楽しさだったりを知ったからで、仕事とプライベートの境は曖昧だ。朝起きてはニュースを見ながら高等教育関連のニュースや職員ブロガーさん方のブログをネットサーフィンするし、仕事が終わってからも同様だ。それに加えて休日はそういった書籍なんかも読んだり、余裕があれば文科省の答申なんかも読んだりする。

 ※ もちろんそれ以外の趣味にも時間は使ってます。

 

 休日は、プライベートなのか仕事なのかわからないような、発表や外の研修会への参加なんかもしていて、このあたりも曖昧な部分だろう。仕事に備えて普段から色んなことにアンテナを張っている(つもり)なので、分けろと言っても分けられないのが本音だ。

 

 それってどうなの?っていう人もいるだろうが、そういう場での学びや気付き、そこで出会える人にも非常に大きな影響を受けてきた。自大学ではたまに変わってるとすら言われることがある私も、外では認めてくれる人、仲間がいた。

 そういう人たちのようになりたいと思うと、私の場合はプライベートの時間を削って学ぶしかなかった。

 

 ただ、それに対しての後悔はない。学ぶうちに楽しさを覚え、教育に関われていることを幸せに思えた。恐らく私は知識欲が大きいのだろう。未知のこと、自分が気付かなかったことを知ることに非常に大きな喜びを覚える。

  私が影響を受けた職員の一人に松宮愼二氏がいるが、彼もまた以下のように述べている。

shinnji28.hatenablog.com

 

 仕事とプライベート、分けられる人とそうではない人がいて、自分は後者だったのだろうと思う。

 

 なんてことを思いつつも、先日私に話をした方は、本当はきっとそういう意味ではなく、仕事では壁がある。普段の自分が出せているわけではないし、完全な素ではないからわからないと言いたかったんだろうなと思いつつも、一緒に色んなことをこなしてきたなかで、私という人をわかってくれているものと思っていたから、なんとなく自分を全否定された気がして結構なショックを受けた。

 

 この砕け散った信頼というべきか想いというべきかわからないものを、なんとかかんとか自分の中で消化させねばと思う。

言葉の力

 私は他の影響を受けやすい。特に人の言葉に。

 今まで言われた言葉や聞いた言葉で特に印象に残っているのは次の言葉だ。

 「知った時、わかった時が自分にとっての最速。だから、もっと前に知っていればとか、気付いていればと思うよりも、そこが最速なのだと受け入れる。そこからどう行動するかが大事。」(とある他大学の職員の方から言われた言葉)

 

 この言葉を聞いてから、仕事でもプライベートでも、もっと早く気付いていればと思うよりも、それが自分には最速だったのだと思うようになった。

 ※ 仕事の場合は、もっと早く気付けるよう行動していたか、知ろうとしていたかを考えはするが。

 

 上記以外にも、様々な言葉を色んな人や物(本など)からいただいて、今の自分ができている。

 

 そう思うのと同時に、自分は人に何か残せているのだろうかと思い返す。自分の後輩、同僚、先輩、その他関係する人、そういった人たちに自分は何か残せているだろうか。と。

 

 一番は前の部署の後輩に対して。

 厳しく指導したため、泣かせたことすらある。期待もあったし、仕事に対する心構えだったり、教育に対する想いだったりというものを継承してほしかったこともあった。それを伝える資格が自分にあったかどうかはわからないが。

 ただ、その職場を出るときには、自信を持って自分以上の職員を残せていけたと言えたし、それを誇りに思えた(実際本人にはその旨伝えた)。ちゃんと伝わっているとは思うが、その後輩にはそういったものを残せただろうか。

 

 私は様々なことに対して、厳しい指摘をすることがある。他大学の仲が良い職員からも、たまに棘がありすぎという突っ込みを受けることすらもある。

 

 言うべきこと、伝えるべきことは伝えるべきだと思っているし、それが健全だとも思う。しかし、厳しいだけじゃなく、人を動かす言葉を、また人に残る言葉で伝えられたらなとも最近思うのだ。

 

 そういう人になれたらなと思うが、まだまだ道は遠い・・・。

過去のJUAMの研究会記録を載せたいが・・・

 身元がバレる恐れがあり、載せられないなと思いとどまる。それらで得た知見も多いが、多分すぐ自大学にはバレる・・・気がする。

 

 ただ、こういう地区毎の研究会の情報共有は必要だと感じている。事務局だよりには簡単な報告があったと思うが、それらに加えて当日の資料なんかも共有できるといいと思う。もちろんアップできないものは除いて。

 

 特に思ったのは、ごく最近の文科省の方の件。同じ方が3地区で呼ばれている。それぞれの地区での議論を共有できれば、より深く掘り下げた質問ができるだろうし、場合によっては違う人を呼ぶことができたかもしれない。もちろん、直接話を聞くことは大切で、それによって理解も深まるとは思うが。

 

 せっかく会員専用ページがあるのだから、そこで共有するとかしてもいいのでは?

 

 後はアップされたらアップされたという通知がほしい。

 

 一考察。

過去の自分が今の自分をつくる

 中二病的なエントリーです。大学関連の内容を期待されている方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

 個人的な信念として、過去の自分が今の自分をつくると考えている。

 

 正しいと思うことは反対されるとわかっていても言う。その場の雰囲気を壊そうが、言うべきことはいう。やるかやらないかで迷ったらやる。メールも送るか送らないかで迷ったら送信ボタンを押す。恋愛なんかでも、想いは伝えるetc...

 

 実際にそれらが正しいかどうかはわからない。やらない方が結果的によかったかもしれないし、やったからこそよかったかもしれない。やらなかった、できなかった未来はわからない。

 なお、本当に重要なことなんかはめいいっぱい迷ったうえでそう決断するようにしている。迷ったうえでやらないことが正しいと思えばやらない(ちょっと言ってることが違う?)。

 

 他の人にとっては至極迷惑な人なのかもしれないなと思う。しかし、迷った時は、他の人には大変失礼だが、「他人なんてわからない」と割り切ることにしている。いくら悩んだって、言ってみないと行動してみないとわからないわけで、思ったより良い反応が来たり、以外な方向に話が進んだり、逆に悪い結果を招いたり、これまでも反応は様々だった。

 

 だからこそ、自分本位に考えることにしている。自分の人生を振り返った時に、今の行動がどういった結果をもたらすのか。やってきたという事実が自分を支えてくれると私は考えている。過去の自分が今の自分をつくる。だからこそ、今、後々に後悔しない行動をと心がける。

 

 迷惑をかけている方々、ごめんなさいm(_ _)m

給付型奨学金よりも

 以前から給付型奨学金よりも、より低年齢層への支給をと書いてきたが、給付型の奨学金創設がされるようだ。

 

 給付型奨学金よりも大学の授業料を補助しては?とかむしろ大学教育は無償化すべきだという議論、それに対して、高等教育を受けれる人は所得が高い人が多いのだからその必要はないのではないという議論など、様々な議論がある。

 

 であれば、以前書いたエントリーに似ているが、いっそのことその層に対してのみベーシックインカムを導入してはどうかと思う。働いていようが働いていまいが、ある一定の年齢層(仮に18歳~27歳まで)に対して、月3万円なり5万円なりを支給する。日本の労働制度では、お金が必要な若い時に給与が低いわけで、必要なときにそれを支給するというわけだ。その代わり、その年齢を超えてからは一定額を税金として徴収する。

 

 以前書いた以下のエントリーとは若干違うが、大学に行こうが行くまいが、それは個人の選択である。公的に支えるべきという議論、高等教育の社会的な価値等々の議論もあるが、それが多数を占めない以上、進学しない人に対しても配慮すべきだと思う。

hibiblog.hatenablog.com

 あくまでも私論。